平坂近辺(諏訪神社、道路元標、高等女学校門柱) [三浦散策]
下町祭礼!のつづき
次のミッションは、観音崎尾根線に近いと思われるHeart on wa〜ve♪な熱帯魚屋さん(あ、Winkに戻った)の脇の階段を上ってみることである。
一旦歩道橋を下りたが、このまま坂を上っても上町1丁目交番まで反対側に渡れないことはわかっているので、ここは抜かりなく横断歩道を渡る勝ち組のなめこさんである。(先に歩道橋渡ればいいんじゃね?わざわざ歩道橋下りて信号渡ってる時点でなめこさん負け組w)
地図を見て気になったので、「若松マーケット」といわれる路地に入ってみた。そこに諏訪神社がある。
本日2度めの諏訪神社。向こうは「大」が付いていたが、こっちは普通に「諏訪神社」である。
こちらも御祭神は建御名方命、大国主の息子である。
ここに当初の鎮座地と書かれている中横須賀字瀧というのがどこだかわからないのだが、この「瀧」という地名を、この日どこかで見かけたような気がする。だがどうにも思い出せない。「大滝町」のことか?
現在のこの辺りは、迅速地図を元に私が適当に引いた海岸線によれば、ぎりぎり海岸線があったところである。
現在のこの辺りは、迅速地図を元に私が適当に引いた海岸線によれば、ぎりぎり海岸線があったところである。
平坂に戻る。
平坂はお祭りのコースからははずれている。坂の途中から上は上町の領域である。なので、閑散としているわけではないが、相対的にぐっと人通りが少なく見える。いや実際日曜にしては人が少ない方かな。
平坂はお祭りのコースからははずれている。坂の途中から上は上町の領域である。なので、閑散としているわけではないが、相対的にぐっと人通りが少なく見える。いや実際日曜にしては人が少ない方かな。
平坂にゃん。横須賀顔である。(どこが?)
「悪いなあ〜、他をあたってくれにゃん」
「悪いなあ〜、他をあたってくれにゃん」
熱帯魚屋さん「中央水族館」の前である。頭の中にユーロビートがガンガン鳴り響く。(ユーロビートだのR・シュトラウスだの井上陽水だの、忙しいやつだな)
この前は何度も通っているのだが、行き止まりとわかっているこの階段を上る気は今までしなかった。だが今日はお祭り、誰もいない。(いるよ!)
意を決して上ってみる。(このつづきはこちら→観音寺尾根第3回 その3 龍本寺)
意を決して上ってみる。(このつづきはこちら→観音寺尾根第3回 その3 龍本寺)
さて次の、そして最後のミッションは、、、?(本当はもう一個あったのですが、見当違いのところを歩き全然成果が出なかったのでなめこさんが闇に葬りました)
平坂の上、例の上町1丁目交番交差点の手前、汐入方面の浦賀道の角のところに「道路元標」なるものがあるという。
これはGoogle Mapで見つけて気になっていたのだが、その前を何百回と通っているにもかかわらず(いやそんなにはないだろ)まったくその存在に気づいていなかった。横須賀ツウ!!のなめこさんとしては(どぶ板通りの位置も知らなかったくせに)、ここはやはり極めざるをえまい。
これはGoogle Mapで見つけて気になっていたのだが、その前を何百回と通っているにもかかわらず(いやそんなにはないだろ)まったくその存在に気づいていなかった。横須賀ツウ!!のなめこさんとしては(どぶ板通りの位置も知らなかったくせに)、ここはやはり極めざるをえまい。
えっと、えっと、、、
これ?
隣の交差点まで行き、手を上げて横断歩道を渡って、件のブツを撮る。(ブツ言うな)
順番に東面、北面、西面、南面。
順番に東面、北面、西面、南面。
一般に、車道側の東面が表で「道路元標」、西面が裏側で「神奈川縣」と記されているとされている。北面にも何か書いてあるような気がするが、気のせいだろうか。南面は、アーケプラスチダらしき生命体(植物です)が邪魔していてよくわからない。抹殺してやろうかとも思ったが、かわいそうなのでやめた。それに他所様の土地で殺戮は良くないだろう。
道路元標については、こちらが詳しい。
この横須賀市の道路元標についても記載されている。
このサイトによれば、道路元標とは、1919年(大正8年)の道路法施行令によって、各市町村に設置された道路の基準点を示す標石であるとのこと。それが1952年(昭和27年)の新道路法によって事実上の廃止となり、いまや無用の長物になってしまったかわいそうな存在である。
ぶっちゃけ道路の基準などというものは、紙媒体の文書か何かに座標的なもの、地番的なものを記載しておけば良いわけであって、なぜいちいち現物を置いておかなければならないのか、今となっては謎である。失礼ながら今ほど文書の厳密性が無かったか(いや、現代の方が一部の木っ端役人や政治家のせいで厳密性がまったくないな(笑))、前世紀の初めはまだまだ都市開発の途上や区画整理等でどこがどこやらわからなくなるとか、それなりの事情があったのかもしれない。
ぶっちゃけ道路の基準などというものは、紙媒体の文書か何かに座標的なもの、地番的なものを記載しておけば良いわけであって、なぜいちいち現物を置いておかなければならないのか、今となっては謎である。失礼ながら今ほど文書の厳密性が無かったか(いや、現代の方が一部の木っ端役人や政治家のせいで厳密性がまったくないな(笑))、前世紀の初めはまだまだ都市開発の途上や区画整理等でどこがどこやらわからなくなるとか、それなりの事情があったのかもしれない。
上記サイトには、他にこの近傍のものとして浦賀町のものが現存することが記載されているが、Google Mapで見るとさらに南下浦村のものが載っている。
しかしこれはまた、浦賀道と平坂の交差点にある横須賀市や、浦賀湾の西側のドックの前にある浦賀町のものに比較して、随分中途半端なところにあるな。バスで通っても、夜中に三浦海岸から歩いても、ここに道路元標があるとは誰にもわからないぞ。
迅速測図を見ると、今のバス通り(県道215号)はまだ存在せず、旧道がこの辺りをうねうね走っていたようである。
しかしこれはまた、浦賀道と平坂の交差点にある横須賀市や、浦賀湾の西側のドックの前にある浦賀町のものに比較して、随分中途半端なところにあるな。バスで通っても、夜中に三浦海岸から歩いても、ここに道路元標があるとは誰にもわからないぞ。
迅速測図を見ると、今のバス通り(県道215号)はまだ存在せず、旧道がこの辺りをうねうね走っていたようである。
こんな南下浦みたいなところにあるぐらいだから(あ、暴言w)、三浦だけでも10以上存在し、それぞれ交通の要衝と言える場所も少なくないはずの市町村の他のどこかにもありそうなものだが、現存していないのだろうか。ひっそりと誰にも知られずにいるのか、道路整備や宅地造成などで邪魔だ!と撤去されたのか?。。。
まあ何にせよ、ここに道路元標が存在することはわかった。私にとっては、初道路元標である。いやん恥ずかしい♪(は?)
以上で今日のミッションは終わった。(本当はもう一個あったのですが、なめこさんが闇にうわなにをするやめろくぁwせdrftgyふじこ
このまま平坂を下って中央に戻ってもよいのだが、基本雑踏が苦手な私は、一旦深田台の博物館に避難することにした。
このまま平坂を下って中央に戻ってもよいのだが、基本雑踏が苦手な私は、一旦深田台の博物館に避難することにした。
こっち方向だと思う適当な道に入ってみる。
む、これは?
む、これは?
横須賀高等女?
市立横須賀高等女学校の門柱である。女学校ネタといえば石井先生であろう。(おい)
こちらに市立横須賀高女についての記事がある。
こちらに市立横須賀高女についての記事がある。
この門柱は、戦後、跡地に青少年会館を建設したときに発掘されたものだそうである。
女学校は1929年(昭和4年)には大津へ移転したようで、その後戦後までここが何だったのかはわからない。すずさんの住まう呉よりは市街地の空襲の被害が少なかったといわれる横須賀だが、軍事施設やら何やらで何らかの被害を受けたか、それとも戦後米軍の手で破壊されたか、普通に更地になっていたのかわからない。だが何にせよ発掘されて重畳であろう。
さらに同サイトの別記事によれば、この女学校の設立を縁に横須賀町と豊島町の合併が実現したそうである(→豊島町と合併『女学校設立を緑に』)。
女学校は1929年(昭和4年)には大津へ移転したようで、その後戦後までここが何だったのかはわからない。すずさんの住まう呉よりは市街地の空襲の被害が少なかったといわれる横須賀だが、軍事施設やら何やらで何らかの被害を受けたか、それとも戦後米軍の手で破壊されたか、普通に更地になっていたのかわからない。だが何にせよ発掘されて重畳であろう。
さらに同サイトの別記事によれば、この女学校の設立を縁に横須賀町と豊島町の合併が実現したそうである(→豊島町と合併『女学校設立を緑に』)。
適当なアングルと、例によってなめこさんの水蒸気で申し訳ないが、現在の横須賀市立青少年会館。
門柱が立っている坂道の先は行き止まりだと思って引き返したが、実は細い路地を抜けられ、例の熱帯魚屋さんの先の谷道、あるいはうまく行けばプチ山越えで文化会館の真ん前に出られたようである。
こういうところが実に迷宮迷宮している横須賀なのだ。
こういうところが実に迷宮迷宮している横須賀なのだ。
ミケちゃんへつづく
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