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グラハム数(笑) [くだらないこと]

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お笑い 左翼の変遷 [くだらないこと]

 普通に左翼政党、団体
→日本共産党以外の左翼政党、団体(共産党は右翼呼ばわり(笑))
→革新政党≒社共
→連合政権から排除される左(結果、ほぼ日本共産党only(笑))
→連合政権から排除される左(+社民党)
→下野した民主党(この辺からおかしくなる)
→小沢一郎周辺(はい?)
→石破茂(←今ここ)

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沖縄

オスプレイが横田に配備されることについて、今頃になってわーわーきーきー騒いでいる方々もいらっしゃるようだが、さんざんこれまでの沖縄の問題には目を向けず、目をそらし、目をつむり、想像することすらしなかった自称愛国心あふれる善良な者どもは、これからずっと永遠に恐怖に打ち震える日々を過ごせばよいのだ。
もちろん事故が無いに越したことはないが、そうなるとこうした想像力のかけらも無いような輩は、自分自身のことに対しても目を向けず、目をそらし、目をつむることになっていくだろう。哀れではあるが、そんな奴らでも選挙権の数に入っている分、実に迷惑である。

それはともかく、こちらにはもう頑張っていただくしか無いだろう。
傍観するしかできない。私には選挙権はないのである。

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仏壇 [夢見るなめこさん]

付き合っているらしいある大物男性俳優と、ある有名女性歌手が喧嘩をしている。私はそのどちらかの付き人か、あるいはまったく第三者のスタッフか何かであるようなのだが、男性の方が帰ると言い出したので、女性に「お疲れ様」と言って男性と一緒に階段を下る。

場面が変わる。同じ夢かどうかわからない。
いつもの死んでいる人が生きていて、おそらくコミュニケーションも取り、そこではそれが確実にリアルであると認識している。一方でその人が死んでいるというリアルが存在することも理解していて、そちらが夢の中のことであろうと思っている。最近よくあるパターンである。
そしてその死んでいる方のリアルでは、部屋の今座っている右前方に仏壇があるのだということもわかっていて、生きている方のリアルでそちらを見ると当然のことにそこには仏壇は影も形もない。

結局例によって何かのきっかけで目がさめるのだが、今これを書いているリアルでは、実際の仏壇の位置はそこではない。そして今のこれが本当のリアルであるという保証はない。
かなり危ない。

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うりうり [Appleさん]

台風で一時期涼しくなった分を取り返すつもりか、ムキになってまた暑い日が続くが、ついに動画を流すとパソコンが落ちる日がやってきた。(笑)
古い方のMacMini(通称みにたん)で、ひっくり返した底の隙間を綿棒や爪楊枝でうりうりあはんあはんすると劇的に状況は回復するのだが、まだ面倒なのでやっていない。へっへっへ、いつまで掃除しないで焦らしてやるか。。。(←変態)

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ケチって火炎瓶 [博士と助手シリーズ]

「ん?何か臭うな。あれ?博士、何をやっているのです?」
「君、今度の学長選じゃが、実に困ったことになった」
「学長選?ああ博士の先輩であるうちの学部長が立たれるのですよね」
「そうじゃ」
「片や博士の恩師である現職の学長、片や博士の上司で先輩でもある学部長
「でじゃな、うちの学部長がよせばいいのに正直』『公正』を売りにし始めてじゃな」
「なるほど。それが今回の記事のネタか。何のひねりもないな」
「何を言っている。でじゃな、それを向こうが討論から逃げ回った上、個人攻撃だとか何とか言い始めたのじゃ」
「うーむ、実にけしからん。クソとしかいいようがない。まるでどこだかの美しい国の縮図みたいですね。ってあれ?」
「何じゃ」
向こう、ってことは、じゃあ博士は『正直』『公正』学部長派についたのですか?」
「まあそうじゃ」
「ほ〜、博士が『正直』『公正』。ほ〜」
「悪いか」
「元々博士は『不正直』『不公正』学長派ではなかったのですか?」
「余計な修飾語は付けなくても良い。まあその、色々と研究室の出入りが多くてじゃな、学長からは色々とヒソヒソヒソ」
「つまり学長から色々と頂いたと」
「わー!、わー!、わー!」
「やかましい!なるほど、それで博士が学部長に関する怪文書をばらまいてヒソヒソヒソ」
「君、全然ヒソヒソになっていない」
「だがここで学長を裏切ると?」
「裏切るとは人聞きが悪い。の金払いが悪いのじゃ」
「それはまた露骨な」
「こちとらさんざん頭をしぼって、あんなことやこんなこともでっち上げたというのに、報酬を4割もケチりやがって!って、あ。ヒソヒソヒソ」
「博士、ヒソヒソが遅いです。で、今造っているそれは何です?」
「これはカエーンビーンというものじゃ」
火炎瓶だな。あー、またベタな展開だ。今回もオチがなさそうだな」
「ヒヒヒ、これの自宅に投げ込んでやるのじゃ。あのドケチ!、日本語不自由!、漢字読めない!、公私混同!、幼稚園頭脳!、仮病、災害宴会、ヘイトヤジ、討論逃亡チキン野郎め!ヒソヒソヒソ」
「全然ヒソヒソじゃないし、かつての恩師に酷いいいようだな」
「君、手伝いたまえ」
「はぁ?あ。またいざとなったら、私はやってない♪とか言って私に罪を押し付ける気でしょ」
「そそそそんなことはないぞ」
「なぜそうわかりやすく動揺する?」

「ここが学長の自宅じゃ」
「博士の自宅の100倍ぐらいありますね」
「うるさい黙れ。よし、投げるぞ。宮崎あおい気分で、えいっ」
「博士、全然飛んでません」
「うわっ!」
発火。博士、焼ける。

こうして学長選は無事に終了し、現学長が3選されたのであった。
「う〜む、酷い目にあった」
「III度の熱傷から生き返って何を言ってる」
「私も無事じゃったし、事件も有耶無耶にしてくれたし、めでたしめでたしじゃ」
「何がめでたいだ。学部長は沖ノ鳥島へ左遷されて、これから学長の恐怖政治が本格的に始まるんですよ!」

かくして、博士と助手の、学長との激しく果てしない戦いが始まるのであった。

かもしれない。。。
「ほら、オチない」

この記事はフィクションであり、実在の人物・団体・名称とは関係ありません。(笑)

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記事分割について [ご案内]

なめこさんが山道だの人様のお宅だのわけのわからん画像をぺたぺたぺたぺた貼りやがるから、このブログも容量がそろそろ限界になってきた。現在97.5%の使用状況である。

このブログとしては一番古いお仲間であるUjiki.oOさんの様に、いっそまるごとよそのブログに移ってしまうのもありなのだが、とりあえずso-net内で何とかすることを考えた。
大変幸いなことにso-netの場合、一つのブログが容量一杯になっても、同じアカウントで別のブログを複数建てられるという謎の仕様がある。それに加えて、エディタの見た目が実際のプレビューと違っていて使いづらい、古い日付の方のエディタがメンテを放置されているのか明らかなバグがある、コピペをすると書体が変わる、画像の検索がめんどくさいファイル名での検索すらできない、記事の保存に時間がかかる、それはまだ良くて素材の追加削除の反映の時間が果てしなく長くそれがキャッシュのせいなのかどうなのか判然としない、画像のセキュリティの運用方針がよくわからない広告の設定をデフォにしておくと消滅する文字がある、サーバーエラーが頻発し保存時にそれが出られるとそれまでの編集結果がすべて消滅することがある、改竄疑惑がある(笑)、まだまだあるがそれらのごくごく些細な事柄を除けば非常に快適なブログである。(どこが快適だよw)

ということでまずはSo-net内でやりくりしてみることを考えるが、ここで大きな問題にぶちあたる。
この一連のおどろおどろしいブログ記事をどう分割するかである。ご存知のようにここのブログは大変凶悪なことに、更新が時系列順になっていない
例えば今日の時点で区切ったとして、過去記事である観音崎尾根探索(→別宅へ移動しましたや、神武寺界隈(→別宅へ移動しましたの記事は途中でぶった切られることになる。他にも船越町〜鷹取山の記事が途中で放り出されているし、そもそも最初のメインテーマである「三浦主尾根プロジェクト」の課題回収もまだ一つだけだ。ってか現地での回収(探索)自体まだすべては終了していない。神武寺だの船越町などは何とか残りの2.5%に詰め込めるかもしれないが、プロジェクト系、とくに観音崎尾根観音崎尾根までたどりつけない観音崎尾根探索となる可能性がある。

そういうわけで、区切るとしたら過去のある時点、あるいはプロジェクト(カテゴリ)毎、にするということも考えたが、それだと容量の見積もりが立たない。いや立たないこともなく、貯め込んでいる画像を全部ひっくり返して枚数を数えたりすれば良いのだが、それは無理、というか、そういう作業は実際に記事を書くときの楽しみであり、たかだかブログの容量を見積もるためだけにその作業を行うことは苦痛以外の何ものでもない。

そこで、今年の初めで区切り、それ以降の記事を新ブログに移行、空いた分に主尾根プロジェクト残り課題と、観音崎だけでも詰め込んでしまおうという、妥協だか折衷だかよくわからないアバウトな見積もりで凌ごうと考えた。
早速、今年の1月以降(1月は記事が無いので2月以降)の記事の新ブログへの移行作業を初めたのだが。。。

同じブログであるにもかかわらずその経緯を書く気も失せるほど全然うまくいかない。なのでやめた。(笑)
(サポートに問い合わせたところ「仕様」だの「しばらく時間をおいて」だの「お客様にて修正」だのの返答が来て、なめこさんは若干キレ気味の様です(笑))

HTMLだけを時系列で分割し、今後発生するリソース(画像)は時系列に関係なく新ブログの方に貯める、という手段も考えたが、上に書いたようにここの画像の管理はものすごくめんどくさい。ブログをまたがってHTMLと画像を管理するということは、3以上の数を数えられないなめこさんにはとても無理である。(3以上、関係あるのか?)

よって熟考の上(なめこさんは30秒ぐらいしか考えていません)今後は以下の方針で行くことにした。
  1. 「くだらないこと」やテンポラリの「散策」などの雑記事はこのまま本ブログで続行し、容量が一杯になったらso-netの新ブログに移転する。
  2. 過去記事の諸「プロジェクト」などのまとまった記事は、こっそりと他のブログに移行する。
  3. 移行した元の記事は本ブログに残しておき、他ブログへのリンク等の貼り替えは気長に地道に行う。
  4. そしていずれは。。。おっと先のことはわからねえ。(はい?)

移行先だが、ざっくり探してとりあえずso-netの画像ごと「お引越し」ができるメジャーなブログは、こいつ、いやこの御方(笑)古巣のやつしかみつからなかったので、そちらに決めた。
使い勝手に関しては色々一長一短あるブログではあるが、それでもどっちの方が断然いいじゃん、みたいなことを書くほど私は下品な人間ではないのでここには書かない。(笑)

まずは、観音崎尾根の一連の記事を試しに移行してみた。こちらのリストのリンクからご覧あれ。
移行作業は面倒だが、マニュアルでも機械的な作業でできるので(理屈が通った修正作業ができるということ)、精神的に疲弊することはない。

今後観音崎尾根の記事は、そちらで続行する。慣れるまで更新頻度がもたもたするかもしれない。
また、当面はリンクがこちらと向こうで錯綜し、普段から人様の住宅地を「迷宮」だのなんだの失礼なことを言っている本人のブログが迷宮化する可能性もあるだろう。ご勘弁頂きたい。

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プラスとマイナス [くだらないこと]

※一部日本語が変(笑)だったので修正しました。まだ少し変だけどまあいいや。

例えばどこだかの選挙において、主観的な評価でA候補が1、B候補が10とした場合、
「Bの方がAより10倍良い」
とか言ったりなんかする。Aの評価が0.1であれば「100倍良い」である。

もし仮にAがまったく信頼のおけない、評価0であればどうなるであろう?
簡単である。割り算でlimをa→0とかにするまでもなく、
「Bの方がAより無限大倍良い」
となる。これはBが10だろうが1だろうが0.5だろうが同じである。Bの方の評価もそれほど高くなければ「Bの方がAより無限大倍マシだ」というふうに表現が変化するかもしれないが、倍数は一緒である。

だがここからが問題である。
Aの評価がまったく信頼のおけない0どころかむしろ害悪、ゴミ、カス、汚物レベルで、数値としてはマイナスであったらどうなるであろう。仮にAの評価が-1であるとして、Bが0.5であれば、
「Bの方がAより-0.5倍マシだ」
となる。
ん?なんか表現が無限大倍よりもショボくなったぞ。
Aが-100であれば、「Bの方が-0.005倍マシだ」になる。これはなんともさえない事態である。
Aがどこだかの憲法もポツダム宣言も読んだこともにくせに自称「立法府の長」になっちゃうような超絶バカで評価がマイナス無限大の場合は、limをちょっとづつ取っていって
「Bの方が-0倍マシだ」
ということになってしまう。これは実にまずい。日本語の罠か?(数学の罠じゃね?)

いや、実はこれも簡単なことである。Aみたいな汚物を基準に考えるから悪い。
この際Bが0.5だろうが0.25だろうが0.00001だろうがそんなことはどうでも良い。マイナス無限大バカゴミ汚物の方を問題にすればよいのである。つまり、
「Aの方がBよりマイナス無限大倍良い」
マイナス良いということは悪いとか酷いとかいうことであるから、ここは
「Aの方がBより無限大倍酷い」
とするべきであろう。「酷い」の部分は「クソだ」でも「バカ」でも「何しゃべってるかわからない」でも「討論逃げ出すチキン野郎」でも良い。

ということで皆さん、数字の扱いには十分注意しよう。
(数学的に合ってるのか?この記事 → 国語の方間違えてた(笑))

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日本のいちばん長い日 [くらいところ]

池上さんの番組を見ていて思ったのだが、鈴木貫太郎だの前の天皇だの阿南さんだの的な個々のことはともかく、知られざる?的な終戦に至るプロセスに対して、なんか初めて知って感動しちゃったりなんかしている人もいたりなんかするが、この程度のことは言うなれば中等教育ぐらいのレベルで一般教養歴史知識として知っておくべきことなのではないだろうか。
こんなもので感動してしまう愛国心あふれる善良な国民の歴史的知識といえば、例えば誰それが誰それに陣羽織を着させないだとか、誰それと誰それがどこだかで一緒におしっこしただとか、もっと教科書的なことを言えば、誰それがどこだかの超ド田舎の藩同士を同盟させて政局が変わっただとか、結果誰それが二条城でなんだかしたとかの、時代的にはもっと前のことで、物語としては面白いかもしれないが、そいつらのせいで成立した一般国民を虐殺しまくった醜い政権が一旦リセットされた現代社会においては、実にくだらないことばかりである。そういえば現時点のどこだかの違憲殺人与党の党首選で、わざと出馬表明しないでもったいぶっているバカがいるようだが、あんなのは対立候補と議論という戦いをする能力がないヘタレという意味では、どうせ幕末の誰かさん辺りの行動から学んだことなのだろう(笑)。改革だの何だの叫んでおいて、一体何をやりたいのかさっぱりわからないどこだかのヘタレ二世議員も同様。こちらも自分の兄が何年か前の大河ドラマで演じた役から学んでいるのだろうな(笑)。

私は天皇制全否定の立場なので余計なお世話かもしれないが、仮に憲法に基づく象徴天皇制を許容するという立場に立つのであれば、その時点での天皇の意志ははともかく(こっそりこれは重要なのかもしれないがおいておく)、ポツダム宣言を受諾するにあたっての天皇制の扱いに関して、当時の閣僚(旧軍を含む)の連中がそれぞれの立場においてどういう動きをしてどういう態度を取って結局どうなったかとかは、近現代の歴史において非常に重要なことであると思うし、愛国心あふれる善良な国民の記憶にもとどめておくべきことであろうかと思う。そして上に書いたこととも関連するが、例えば映画であるので少しは美化されて描かれていたかもしれない阿南陸軍大臣の行動とは別に、実際の戦場において部下や民間人をことごとく見捨てて、てめーたちだけ逃亡してのうのうと生き残ったような美しい国の旧軍上層部共の醜態なども、中東教育レベルぐらいできちんと周知すべきなのである。もちろんそいつらが現地民や占領国民に何をしたかも含めて。

非現実な現日本史カリキュラムを組んでおいてそれを強制する木っ端役人どもや、そのことを無批判に受容して時間がねーだとかほざいて近現代の歴史をスルーするような無能な現場教師などは万死に値するが、そんなことだから、大和朝廷どころか縄文時代始まって以来の「ポツダム宣言すら知らないバカ」が国家のなんちゃって首班になったり、そんなバカを支持するような輪をかけたバカどもが(捏造と言われているとはいえ)「割」レベルで支持率数字に現れたりなんかするのである。
憲法の条文そのものもそうだが、まずはこの辺、戦争末期を含めて戦後現代国家がどのように形成されたかをきちんと教育カリキュラム(大人への周知を含む)に組み込んでいくべきなのである。

と、ちょっと前にたかだかBSで観た程度の私がドヤ顔で言ってみる。

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