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片隅で聴いていたボブ・ディラン [楽しい音楽の話]

又吉みたいにディラン、小説でも書いたのかと思っていたら、歌詞そのものがノーベル賞なのだそうである。
なるほど、そういうのもアリか。

ならば日本でもいっそのこと、何とか春なんとかとかばっか推してないで、この際、秋元康あたりを推したらどうだろう。そう、「あまちゃん」で振り付けやってて「この薄汚ねーシンデレラめ」と呟いた人(←それ、違う)。「んとにもう体だけは大事にしてください」の息子である(←それも違うからっ!)
将来の嫁にボーカル取らせた「アンブレラ・エンジェル」は傑作である(←このロリコンがっ!)以前言及した渚の『・・・・・』」もこの人の作詞である。そして最近のご活躍については申すまでもあるまい。
ということで、これからのノーベル文学賞はなめこさん的には秋元推しということで(せめて松本隆ぐらいにしておけ)

60年代、70年代の洋楽にやたら詳しい年齢不詳なめこさんだが、ボブ・ディランはあまり聴いたことがない。洋楽邦楽にかぎらず、歌詞先行の曲やアーティストはどうも苦手である。とくに洋楽は歌詞がまったくわからないケースがほとんどなので、どうしてもファンになるには楽曲先行になる。
そんなボブ・ディランだが、「ハリケーン」という曲は好きで、「Desire」というアルバムだけはなぜか持っている。Desireの言葉の意味を知ったのは中森明菜ではなく、このアルバムからである。

「ハリケーン」とはRubin Carterという米国の黒人ボクサーの源氏名(←リングネームと言え)である。世界チャンピオンにもなれると言われた人だが、ある日無実の罪で捕まり、白人陪審員によって有罪にされ、20年間刑務所から出てこれなかった。結果チャンピオンにもなれない。この曲がリリースされてから、さらに10年以上も出てこれなかった。この歌詞のメッセージ、今でも確実に存在する差別の問題に関して、どこだかの国でも他人事ではないのだが、それについては今ここでは語るつもりはない。歌詞や曲に興味のある方はまずはこちらの素晴らしいサイトをご覧あれ。

日本語東京方言しか話せない私に聴き取れたのは、「Here comes the story of the Hurricane」の部分だけである。ふむふむ、ハリケーンの物語が始まるわけか。ってかタイトル「ハリケーン」だし。
この曲に惹かれたのは、まず長い。もっと長い曲もあるが、アルバムの冒頭でいきなり8:33である。何でもシングルカットしたとき(もちろん当時はアナログレコード)、曲の真ん中で半分に切ってA面、B面に収めたとか、それぐらい長いのである。プログレファンのなめこさんは、取り敢えず長い曲は好きだ(何か根本的に違っているような)
曲の後ろの方で、歌詞が字余りだったのかリズムが崩れるところがある。これがギターのストロークで根性で治っているところを聴いて「かっけー」と思った。後で無理やりリズムセクション付けてリズムがトチ狂っている「サウンド・オブ・サイレンス」などとはわけが違う。
ぴこぴこリズムの固定が主流になる80年台以降とは異なり、この当時の録音の演奏のライブ感は半端ない。通常音楽をやっても何かの作業をしてもリズム感が悪いと言われる私は、この手のライブなノリでリズムがバンバカ狂う曲を聴いていると「もっとやれー」と言いたくなるような変態である。日本の60年代歌謡など(GSとか)かなり凄まじいものがあるが、このあたりの話をすると長くなるのでまたの機会としてやめておく。あ、ジャンルは違うが、フルトベングラーなども有名ですな。

ボブ・ディラン、しかも「ハリケーン」に関してこんなアホなことを書く者は他にいないだろうし、往年のファンには激怒されそうだが、世の中にはディラン嫌いな人もいる。私のボブ・ディランに対する感情はこの程度、熱狂的なファンではないが、嫌いでもない。加えて、せっかくなのでもう少し歌詞に興味を持ってみようかな、と思ってみたりもする。
ノーベル賞は理系はともかく、人文系はかなり胡散臭いと言われるが、とりあえず自分の知っている、アルバムも一応もっているアーティストがこの胡散臭い有名な賞を受賞するのは、自分の住んでいる街がオリンピックの開催地に決定することなどよりは遥かにうれしい。

そんなわけで(全然まとまってないぞ)、今後私は秋元推し(だからそれやめろって(笑))、そしてノーベル生理学賞には小●方●子さんを是非。(わーっ!!!)


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