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本日の尾根道 [三浦支尾根プロジェクト]

これはもう、有名っちゃ有名ですね。

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おまけ。本日のリス。(なんだそりゃ?)

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重要なお知らせ


突然ですが、事情により次記事から「うに°うに°ぷにぷに」はURLが変わり、タイトルも大幅にリニューアルされます。(ほ?)
その名もうに°うに°ぷにぷにZ」!!!(Zが付いただけじゃねーかよっ!)

そうなのだ。そしてなんとURLもz(半角小文字)がついただけだぞっ!(あっそ)


相模原市の区の数よりも少ない閲覧者の皆様、これからも見捨てずに「うに°うに°ぷにぷにZ」をよろしくおねがいします。
なめこさんのことは嫌いでも「うに°うに°ぷにぷにZ」のことは嫌いにならないでねっ♡!ねっ♡!ねっ♡!ねっ♡!(あーうざい)

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汐入町2丁目東尾根 [三浦支尾根プロジェクト]

良長院尾根のつづき

浦賀道に突き当たったところから見える「今日の大楠山」。

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汐入町2丁目は、汐入駅を中心にひらがなの「し」の字を左へ45度傾けたような形をしている(Mapion)。汐入川をはさんで、東西どちらにもそれぞれ小さな尾根が通っていて、そのうち東側のものを汐入町2丁目東尾根として本記事で扱う。
因みに西尾根の方は逸見汐入間の浦賀道が乗っかっているが、こちらは例の聖ヨゼフ病院から緑ヶ丘女子の脇を下ってしまうので、尾根浦賀道は一部を除いてあまり関係はない。

とりあえずはその浦賀道汐入駅方面へ向かう。
例の「崩落注意」の坂を下る。おわかりになりにくいかもしれないが、正面に目指す尾根が見える(右画像)。

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坂を下って一旦平坦になったところを左へ。

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坂を上って尾根に乗っかる。

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左側の見晴らし。谷の左側が浦賀道の通る尾根良長院尾根。つまり先程の「崩落注意」からとは逆方向の眺めである。

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尾根上の平坦な道。

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出たw。U.S.FORCES向けの看板である。

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意味がわからない。ローカル居住者の性質?属性?(あとでわかる)

道は一段下がり、

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2つに分岐している。

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汐入駅方面が展望できる右のほうがダメそうに見えたが、実際は左が行き止まり。

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その汐入駅方面の眺め。

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道は下り傾向である。

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さらに下る。

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ここでミスってしまった。右のアジサイ画像から先は求める尾根道ではない。

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前右遠方の高台に、緑ヶ丘女子中学校・高等学校の建物が見える。

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前にもどこだかに書いたが、この文字付きの建物は遠方からもよく見えるので、ちょっとした目印になる。

つまり今、後出しで言えば、この時点で方向的に怪しくなっていることに気づくべきだったのであるが、ずっと下り傾向の道が続き、あとはひたすら下るだけだと思いこんでしまっていたのであろう。

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正面の白い建物は、汐入小学校。そしてその学校の前に下る。

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これは想定外である。尾根道はもっと西側の汐入川沿い、坂本町へ通じる道の方に出るはずだ。

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反時計方向に尾根の裾をぐるんと回ってみる。

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それっぽい階段がある。これだろうか。。。?

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上って行き止まりだったりしたらハヒハヒである。(ハヒハヒ?)
スマホ画面のGoogleさんと格闘する。どうやらGoogleさん的にはOKのようだ。

この階段を上って逆走し、この時点ではまだわからない、ミスった地点まで戻ってみよう。



元の道、緑ヶ丘女子を望むアジサイの手前、ここに左への分岐があった。

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左分岐、この狭い路地をうにうにと進む。

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下り傾向から回復し、むしろ上りもあるということは、尾根上をしっかりとキープしているということになろう。

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だがまた下り。

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左側の眺めが良い。これは中里通り、あるいは例の若松隧道へ向かう通りの谷である。

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そろそろ尾根は終了。

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右画像、ベンチのある前のお宅は外国風、いやゆるThe U.S.FORCES関係の方のお宅であろう。

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汐入駅方面。

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まもなく下界に出る。

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上り口に先程の米軍向け英語看板がある。

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先程のには元々書いてなかったのか、消えてしまったのか、こちらにはちゃんと赤文字で和訳が書いてある。なんちゃってプログラマーにとって、"Property"に土地だの財産だのの意味があるとは知らなんだ。

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下界、学校通り。緑ヶ丘女子汐入小学校のことだろう。

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子之神社へつづく

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良長院尾根 [三浦支尾根プロジェクト]

良長院のつづき

こことかこことかに書いたことだが、横須賀中心部付近の都市尾根は、尾根道の抜けが良いものと、そうでないものがある。基本前者は尾根線まで都市開発されたことによるものであるが、その場合でも中には学校のような施設が尾根上にでーんと居座っていて逆に抜けられないこともある。トリュフォーの時代から学校はとかく山の上に建てたがるものだからである。(?)

良長院の脇から、ちょっとしたいい感じのプチ尾根がある。いや、プッチ尾根というべきか。(いつのハロプロだ?)

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上図赤紫の部分の尾根ライン良長院側は微妙だが、浦賀道をはさんだ西側が、これはまたいい感じに尾根上に道が付いている。
これから汐入川沿いの気になる物件(物件言うな)に向かうのだが、ここはひとつ万有引力に逆らって、この尾根道を経由して汐入方面へ向かうのも乙であろう。

赤紫尾根を、本記事、次記事と連続して扱うが、これらの尾根は厳密なグラフ的には観音崎尾根支尾根の、さらに支尾根同士の別の尾根である。めんどくさいのでここに現れている細かい尾根にいちいち名前は付けないが、一応本記事以降で扱う尾根については、浦賀道をはさんで東側を良長院尾根、西側を汐入町2丁目東尾根と名付けておくことにしよう。

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良長院の門前の右側の坂を登る。

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この道は厳密に尾根道ではないが、尾根に上らんとする坂である。

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左側の塀の下は良長院の墓地である。人様のお墓なので中には分け入らなかったが、大勝利山側の尾根との間のきれいな谷間になっているはずだ。

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ある程度上れば、塀越しに背伸びすると中央方面が展望できる。

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上りきった道をさらに上る。

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はまゆう公園の崖上にもいた花。

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例によって海が見えてくる。

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まもなく浦賀道に合流する。

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尾根線に少し外れて浦賀道に当たったので、西側の尾根に上がるには少し浦賀道を歩くことになる。

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観音崎尾根 第2回 坂本町〜上町 おまけ3 続・はまゆう公園 [三浦支尾根プロジェクト]


正規の「はまゆう公園」も、この「続・はまゆう公園」も実際にはまゆう公園自体を訪れたわけではない。公園は上から眺めた、あるいは崖上を通過しただけである。だから本来はタイトルを「はまゆう公園崖上」とすべきなのだが、今さら面倒だし、あまり細かいことを気にすると脱毛マシーンになるので(なんだよ?それ)、このままにしておく。
はまゆう公園の何らかの情報を求めて不幸にもこのブログに到達してしまった方、ごめんなさい。
まああれだ。大学入って部活入ったら、大学も部活もどっちも指導者がとんでもないゲス野郎どもだったとか、どこかの国に生まれたら、大臣も官僚もとんでもないゲス野郎どもだったとか、そういう不運だったと思って諦めていただきたい。(笑)

観音崎尾根探索で、坂本町1丁目+汐入町3丁目の迷宮(だから人様の住宅地を勝手に迷宮呼ばわりするな!)から抜け出した我々は、はまゆう公園の崖上に上るため、ちこく坂を横断しそのまま「なんかものすごい上り階段」を上ってみた。
だが机上で確認したところ、この上り口よりも尾根線に近い別の上り口があったようである。今日はそちらにチャレンジしてみよう。

ちこく坂を兵隊さんの気持ちになって以下略」でなめこさんが余裕こいて途中で終了させたこの場所、左画像左側にちらっと見える階段がその上り口である。

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上ると、すぐに左側に上り階段があったがそれはフェイント、上った先はお宅の敷地の跡であった。

右方向へカーブしてから、次の左側の階段を上る。

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さらに左折。振り返って坂本町方面の眺望はなかなか良い。

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あっちに比べて地味な上りではあるが、同じ分上っているはずである。

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一瞬、お宅のお庭で行き止まりかと思ったが、大丈夫、道はつながっている、左の階段を上る。

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上り着いた。ここで尾根線にほぼ乗ったと思って良いだろう。

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下って左折。

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よそ者が無責任に評するのは何か申し訳ないが、こういう3次元的な道の変化が病みつきになりそうなほど素敵である。鬼ごっことかしたら楽しいかも。

不入斗町方向の眺望。

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尾根道をまっすぐ、見覚えのあるダークグリーンのシートが見えてくる。

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ミッション終了。続きはこちら、1枚目の地図以降を御覧いただきたい。

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地理院地図を加工)



この後、もう一度汐入駅の方へ戻るつもりだが、このままちこく坂へ下ってもつまらない。少し寄り道をして行こう。

まずははまゆう公園の崖上、汐入町と上町の界道である。

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謎の変なお父さんがこの先で一本取られたこの分岐、ここ、あるいはここである。同じ場所で3度画像撮るのも実に珍しい。(はい?)

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左の階段を上らずに、このまま町界道をまっすぐ行ったらどうなるか?
行ってみよう。

左側が「一段高い」系尾根なので、逆の斜面となる右側の見晴らしは良い。

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すぐに「防犯意識高い系」の看板が見えてくる。左側に見える階段を下り、このすぐ先で右へ行ったのが、中央図書館緒明山)へ向かったときの経路

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ここから先は未発表の区間である。(何だ未発表って)
中央のビルと、謎のモニュメントが見える。

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さらにこの先は、左側から下ってくる階段で「一段高い」系の経路と合流し、中里通りの切り通しへ階段で下る。それらに関してはこちらを御覧いただきたい。



さて汐入駅に戻るが、このまま中里通りに下ってもつまらない。(それさっきも言った)
画像が無いので、一昨年の画像を流用するが(2016.10.23)、

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この階段を手前に上って「一段高い」系から、今度はこちらで迷い込んだ西側の支尾根を下ってみよう。

2016.10.22の画像、こっち方向である。(また流用かよ)

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この尾根道は、汐入駅方向の海の景色が素敵である。

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2016.10.22に途中で引き返した、その先。

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当然のことの様に、下まで降りることができた。

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いつぞや記したちこく坂西側と異なり、こちら側は道の抜けが良い。支尾根を含め尾根上に道がすっと通っているからだろう。
住んでいる方々の利不便は別として、これは良い悪いの問題ではない。だが、私のような尾根変態、及びあのとき妄想したA家の息子B家のなめことかいう変態娘には幸いなことである。

町はプリお祭りモードである。(は?)

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汐入駅に戻ろう。

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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その6 深田台〜聖徳寺坂 [三浦支尾根プロジェクト]


お忘れの方もいらっしゃるかも知れないが、我々は延々と東京湾三浦半島のドン平作川との分水界上を辿っている。実は私も忘れていた。(おい)
例えば前記事のこの画像、

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我々は、この左側の博物館からここへ出てきたわけだが、交差点の右方向は谷筋、後ほど一部通るが浦賀道に出るこの谷に水路があったとして、その流れは最終的に平作川久里浜湾に流れ出るものである。その水源は、海から数百メートル、昔の海岸線からであれば200mもないだろう。そこから10km近い距離を、佐野だの衣笠だの久里浜だのをぐるんぐるん経て海に流れ出るのだ。
だからこの尾根を歩むものは「俺ってすごいじゃん」的な感覚になるのである。(あの、ちょっと意味がわからないのですが)

だがこの尾根は、ここから先が厄介くんなのである。

先程の谷を右に見て回りこんだ尾根は、上の画像、正面の崖上から右方向へ続いている。
よって崖の右側の坂道を上ろう。看板を見るまでもなく、この道が行き止まりであることは合点承知の助だ。(は?)

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Googleさんの地図表現もそうだが、行き止まりはいかにも私道っぽくて遠慮したからだろうか?このような意味不明の画像しか残っていない。

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無敵のGoogleさんも、ここまでしか達し得ていない。

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何にせよ行き止まり、ここは戻って迂回である。右方向(戻って左方向)、先程ふれた谷筋へ下る。道なりに下れば、上町1丁目交番交差点からの旧浦賀道へ突き当たるのだが、

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その手前左側に、尾根方向に少しだけ上る路地がある。我々尾根探索隊(だからいつから隊になったんだよ?)は、これを上ろう。

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直進は行き止まりなので、ここは右。

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ここは横須賀迷宮、うっかり道を間違えると命に関わる。(関わらねーよ!)

お宅の門前に出てT字路のようになっている。

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左は行き止まりっぽい(左画像)。ここは右へ下るべきであろう(右画像)。

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うわあ、やられたあ。(はい?)

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階段を下って浦賀道に出たが、これは早すぎた。
もう少し長く尾根近くにいるには、先程のT字路を、行き止まりと思われた左へ向かうべきだったのである。だから命に関わるといったのだ。(だから全然関わってねーじゃんかよ!)

ということで、次回の探索時(2016.11.6)に生還したなめこさんはあらためてこの左側のコースを辿ってみることにした。
といっても、この突き当りのお宅の門の前を右折するとすぐに下り。

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坂を下る途中、聖徳寺坂の切り通しをはさんだ向かいの尾根の続きを観望、そしてさらに下りその聖徳寺坂に出る。

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2016.11.6 の画像はここまで。

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こちらはこの日付。聖徳寺坂に出てからこの階段を左にみて初めて、やられたあとなったわけである。(こっちに道があったじゃんの意味)

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時刻は既に17:00を過ぎている。無理矢理修正している画像の色も変だ。(笑)
この先の田戸台は次回へ回し、今日はここでお開きとしよう。

京急さんをくぐり線路に沿って歩き、中央のひとつ先県立大学駅へ向かう。

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県立大学駅、私にとっては初めての駅である。

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以前は確か違う駅名だったはずだ。えっと、えっと、、、横須賀公郷→京浜安浦→京急安浦です)

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快特停車駅にはさまれ、横浜方面からだと八景から普通でえっさえっさ乗ってこないとたどり着けない不運な駅である。

次回のなめこさんは、この駅でものすごく恥ずかしい姿を晒すことになる。(え゛?)

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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その5 中央公園(下) [三浦支尾根プロジェクト]


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前記事でも触れたが、この中央公園米が浜演習砲台の跡である。遠方に見える陸地は千葉県房総半島、つまり目の前の海はバリバリの東京湾である。いざとなれば、ここにうにうに入ってきたペリリンみたいな(ペリリン言うな)黒船を大砲でやっつけようという魂胆であろう。(黒船?)

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この見晴らし台のようなものはどうなのかはわからないが、

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他に軍事遺跡のようなものはいくつか見られる。

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このそれぞれが一体何で、どうのような用途で用いられたものなのかどうかのそっち系のことはよくわからない。しかるべき有益なサイトがあるので、そちらをご参照いただきたい。(こことかこことかこことか)

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なぜか人は、こういう眺めの良いところに石碑だ記念碑だを建てたがるものである。

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なめこさんもいつかこのブログが認められて、その事績を(絶対ない)

青緑の人に全存在をかけて否定されてしまった。。。

謎の建造物を目指す。ってかさっきの説明板に書いてあったからもはや正体は判明しているのだが。(平和モニュメントです)

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道は右に下っているが、尾根線はこの左側の木が植わっている部分である。

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尾根サーチャー(笑)としてはそちらを極めたいところだが、そっち歩くと怒られそうなので仕方なく道を下る。

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平和モニュメント

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こういうものはだいたい変な形と相場が決まっているから、形状に関する論評は控えよう。
文字が書いてあるが、一部の自称愛国者(笑)の馬鹿どもには見えないだろうからここに書き出しておこう。

「核兵器廃絶」「平和都市」

U.S.FORCES」が日常的に寄港する横須賀では他人事ではあるまい。そしてここはかつて、旧軍が大砲をばんばか撃ちまくった場所である。そういう場所だからこその平和モニュメントなのだ。

さっきは何かのビルの影に隠れていた猿島が、ここでは角度的にまる見えになる。見え過ぎちゃって困る猿島である。(意味ワカンネ)

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このときの私は色々右往左往したあげく、このモニュメントから先の尾根線は以下の画像方向、遊戯施設のある広場から直接博物館に下りて、博物館の西側に回るのが尾根コースだと結論した。実際ラインもそう引き、現地でもそちらへ辿っていった記録が残っているのだが、どうやら違っていたようだ。

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必殺!自分で作る色別標高図で検証すると、博物館の東側を経由するコースが有力である

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地理院地図を加工)

現在の地図とずれずれなのが悩ましいが、迅速測図でも南から切れ込んでいる谷の頭を東側にぐんと回り込んでいることが見て取れる。
ってかこの尾根、どんだけ海側に寄りたいんだよ!(笑)

公園のさらに東の先(左画像)、このときはこっちが尾根線という意識が無かったが、そちらへも行っているので、このままそちらの画像で有る分を使用して尾根探索としてのレポートを続けよう。

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デッカー司令官である。占領軍の人だが、横須賀にとっては恩のあるめっちゃいい人だったみたいだ。

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恩人なのに、駐車場建設ごときで移動させられちゃうデッカー司令官。やっぱりいい人のようだ。(笑)

文学碑の裏側。後で表に回るので、説明的には一旦スルー。

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戦没者慰霊塔。

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こちらは先程裏から見た文学碑である。

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個人的には無関係なのに、文芸作品に「田戸」とか地名が出てくると、我がことのように嬉しくなるようになったニワカ横須賀ツウ!!の私である。「田戸の海ぬし」に関しては、「ふるさと横須賀」にも記事がある。

ここまでの、平和モニュメント四態。

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角度によって見え方が色々変化して面白い。変な形が功を奏したわけだ。

さてこの先の尾根線だが、先程の慰霊塔の辺りから南へ下る。尾根探索コースとしては若干迂回になるが、慰霊塔の脇を下る坂道がある。
だがその区間のこの日の画像がない。なので途中までは、2018.6.17の画像を使用する。あるいはここまでを含めて例によって無敵のGoogleさんが公園内を闊歩しているので、そちらで辿られてもよろしいだろう。

この画像から唐突にアジサイが咲いていてびっくりポンな坂道。(2018.6.17の画像です(笑))

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逆方向にカーブした後、広場に出る。これを右に下れば博物館の建物の東側に出る。

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2018.6.17の画像はここで終わり。(基本、アジサイとか撮っただけなので)
あとはGoogleさんを頼ろう。ぺたぺたぺた。。。




Googleさんもここで終わり。

真っ直ぐ行くと最終的に、この画像のところに左側から出てくる。

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市内のところどころにオグリン(オグリン言うな)の銅像があるらしいが、今のところこれしかゲットしていないので(ゲット言うな)ここのすぐ脇、博物館の庭園領域にあるオグリン(だからオグリン言うな!)他1名(他言うな)の像をご紹介しておこう。

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結局、西側の博物館入口は尾根コースからはずしてしまったが、一応ご紹介しておく。
横須賀市自然・人文博物館

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今日は博物館にはよらない。
有益な情報は得られないかと思うが、ご興味のある方はこちらをご覧いただきたい。(→横須賀市自然・人文博物館。→ミケちゃんはこちら(?)

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地理院地図を加工)


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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その4 中央公園(上) [三浦支尾根プロジェクト]


龍本寺を出る。

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この参道の左側(東側)には、参道にほぼ平行して、地名としては米が浜1丁目の横須賀共済病院の方へ下る「裏坂」がある。
若松町・深町台境界へ向かう駐車禁止標識の路地龍本寺から見て少し手前で、戻る方向に裏坂が分岐している。

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こちらは後日、田戸へ行ったときの帰りに撮った画像(2018.4.8)。裏坂を少し下ったところである。

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裏坂に関しては次回の初頭にも書くが、ご覧のように明らかに切り通した坂で、尾根線はそれを横切って東方向(つまり上記画像では左方向)に伸びている。

反対向きの仰視画像もあれば良いのだが、残念ながら撮ってないようなので、Googleさんにお願いしよう。こんな感じ。


龍本寺から見て切り通しの向かい側に上るため、裏坂の右の階段を上ってみよう。

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道は右にカーブするが、その辺りで尾根線に近づいたと言って良いだろう。だが、この道は直進しても遙か正面のお宅の門で行き止まりである。

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右画像右上に見える丸い電灯は中央公園のライトで、そこもほぼ尾根線である。

突き当りの手前で右の路地に入り、階段を下る。

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広い道に出る。ここの交差点をその画像の向きで右に入った道である。

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地理院地図を加工)

交差点にある標識。そこに示されているように、この緩い上り坂は文化会館博物館、そして中央公園へ通じる道である。

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例によって、尾根変態でなければわざわざ裏坂の右の坂道を迂回する必要はない。参道をまっすぐ行き上の案内標識のある交差点を左折して直接この道を上れば良いのである。

この先、もう一つ左方向に入る路地があったが、尾根線に乗っている先程の公園の崖下に出るだけで、尾根探索的にあまり意味がない。なので省略する。

左奥の建物は横須賀市文化会館。その手前(横断歩道のところ)に中央公園へ上る坂道がある。

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これを上る。

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中央公園入り口。

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これが、高所恐怖症のくせに高いところが好きななめこさんが、横須賀中央近辺に来るたびにせっせと登ってくる中央公園との初めての出会いである。すぐ下の博物物館には既に行っているのだが。。。)

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地理院地図を加工)

目の前に階段があるがそれは登らず、ここまでの尾根線を探索的に取り戻すため左方向へ進む。ここでおトイレ休憩もしておこう。(笑)

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ぐるんと右に回る上り坂。右画像の丸ライトが、先程崖下のお宅越しに見えたものだろう。

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坂を上りきったところが尾根線ということになる。
そして尾根に乗った!振り返って龍本寺方向。

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見晴台のようなものがある。その向こうには謎の建造物がっ!(笑)

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あとでわかるが、この中央公園は「米が浜演習砲台」の跡である。この見晴台のようなものも、その遺跡を利用したものなのだろうか?

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地理院地図を加工)

ビルの左下のお墓、青い屋根の龍本寺のお堂、そしていま現在のここまで尾根線が通っていると考える。

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いや、カタギの人は尾根線なんぞよりも、まず海側のこの絶景を堪能すべきであろう。

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パノラマぐるんぐるん回したから画像ちっちゃ。(クリックで拡大します)

猿島。

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小原台、某防大方面と千葉県。

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反対側も負けてはいない。内陸側、三浦主尾根方向。

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おっぱい乳頭山です)等も見えているはずなのだが、このときは気づかず、角度的に木の陰に隠れてしまっているようだ。

せっかくのおっぱい乳頭山です!)なので、後日(2018.6.17)少し場所をずらして撮影したものを貼っておこう。
左右を少しトリムした。君にはおっぱい乳頭山ですが見えるか!?

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さらに拡大!これでおっぱいがよく見えるだろう。(おっぱいおっぱいやかましいわ!)

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(中央やや右に見える塔(多分これ)の右側のぷにです)

他の山々についてはよいだろう。未来の記事に書いておいたものとだいたい同じ様な角度である。左にパンすれば大楠山も見える。

尾根線は、例の謎の建造物の方向へ向かっている。

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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その3 龍本寺 [三浦支尾根プロジェクト]


前記事で青緑の人にボロクソに笑われたので、ここではもっともっとタケモットな高度なデジタル技術を駆使して、かつての尾根を再現してみよう。因みに駐車場の案内の方々には、面倒なので消えて頂いた。(酷っ)

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何?酷さに変わりはない?抽象化されていない分もっとインチキ臭い?コラやってるヒマがあったら先をとっとと更新しろ?そもそもこの崖、いったいどこから持ってきただと?
いい素材がなかったので、本尾根探索の某画像を切り取って持ってきた。高プロで時間のある方(笑)は元画像を探して頂いてもよろしいが、正解しても残業代は出ないぞ。(2018年の時事ネタをここで出すな)
そう、これが平坂を切り通す前の旧横須賀・豊島町境界、いや旧々横須賀村と、旧々中里村、旧々深田村の境界の真の姿なのである!(いや嘘だろ!w)
問題ない。どうせこれを見たものはもう誰もいないのだ。(舗装道路とか速度標識とか電線とか。。。)



我々が熱帯魚屋さん中央水族館)の背後の山を尾根線と目した通り、例の大勝利山手前のT字路からの旧横須賀・豊島町境界平坂の東側では若松町・深田台境界も見事に中央水族館の脇の階段を上っている(Mapion)。
この階段は、苦労して上っても、さらに上の段の崖下で明確に行き止まりなので、この日はスルーした。
その後、何度かこの階段の前を通る機会もあったが、段上のお宅が数軒に限定されていて入りづらいということもあったのだろう、そのままになっていたのだが、、、

今回の記事を書き始めて尾根魂(?)が騒ぎ出し、ちょっとチャレンジしてみることにした。

2018.5.27、ちこく坂をちんたら上ってみたり、どぶ板通りでうに°うに°ぷにぷにしたりした日である。幸い街はお祭りである住人もみんな出払っているに違いない(笑)。この隙にこっそりと。。。
別記事にするのも面倒なので、最初に本記事でちゃっちゃとご紹介してしまおう。

この、Winkの歌が聞こえてきそうなお店の脇の階段を上る。今夜はもう帰りません私。(それWinkじゃないし)

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ひたすら直進、上り階段である。叱られてもなじられてもいいが(岩崎やめろ)、この階段は結構きつい。

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やっと上りついた。道は奥で左方向に伸びていて、

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すぐに行き止まりである。

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崖上、ピンクのお宅の手前を町界が通っているらしい。

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この崖をよじ登ることは不可能だし、無理に登りついてもその先は人様のお宅の敷地である。
よって尾根探索的にはここで引き返す。

HirasakaE0.png
地理院地図を加工)

因みに、ご存知「ふるさと横須賀」によれば、この辺に貝塚が出たらしい。(→平坂貝塚 『縄文の人骨も発見』
リンク先文中の、「深田台五番地、 若松町三丁目三十番地」はちょうどこの崖上の境界をはさんだ住所である。地学同様、考古学的なことはさっぱりわからないが、そのことが尾根探索的にも何かのヒントになるのではないだろうか?(いやない)



平坂から先程の2段上の崖上、龍本寺方面へ登る経路はだいたい2つに絞れる。A)若松会館と洋服の青山の間の道を入っていった先の階段と、B)中央水族館からお店を一軒はさんだ先のもう一つの階段である。

HirasakaE.png
地理院地図を加工)

の方は回り回っていて、その一本南の谷筋の坂をゆるゆる上っても一緒なのだが、できるだけ尾根線に近い道を辿るという尾根サーチャーの掟によりその階段を上るのだ!(なめこさん、変な気合入っています)

この日はの階段を上っていったのだが、実はこちらの経路にはせっかくの尾根道の一部オミットしてしまうという欠点がある(例のピンクのお宅の前の道です)。上りついてからそこまで行って引き返しても良いのだが、一筆書きで辿れるという点ではの経路の方が良いかも知れない。

何にせよこの日のなめこさんは、とりあえず目についたの階段を上る。そちらはそちらでまた素敵な景色もあるので、まずはそちらからご紹介しよう。のコースは後日辿っているので、そちらは改めてこの後<hr />で分けてご紹介することにする。

先程申し上げた若松会館と洋服の青山の間の道を入る。

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正面に見えた階段を上る。よっこらしょっと。

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振り返った俯瞰。尾根線は左の白い建物の後ろを通っている。

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上り坂はここで一度ターン。

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お地蔵さん。こっちにもちらっと書いたが、この坂は、平坂ができる以前の下町側(若松町)から上町側(この場合龍本寺)へのアクセス路だったのかもしれない。

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もう一度ターン。

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さらにターンして上りつくと

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お墓が見えてくる。振り返ると、横須賀中央のホームを見下ろせる。っと言うことは、ホームからもこちらが見える?

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既に龍本寺の領域内。遠くに例の謎の建造物(笑)が見える。

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左画像の先の方で、右からの道と合流する。そちらがコースを辿った尾根線である。

HirasakaE1.png
地理院地図を加工)



次はコースを辿ってみよう。
こちらは2018.4.8、例の田戸台へ行ったときのついでの探索である。

先程のどうぞそばにおいての熱帯魚屋さんの一軒先の階段を上る。(左画像左下の段々)

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階段を上りついた住宅地、左側に尾根が見える(右画像)。

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住宅地内を適当にうにうにかくかく行って、道幅の広い谷筋の道に出る(なので無理に階段を上らずとも最初からこの谷筋の坂道を上っても良い)。谷道を左折。

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交差点を左へ。まっすぐ正面が龍本寺だが、ここはぐっとこらえて駐車禁止の手前の路地を左に入る。

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実はこの路地、Googleも堂々と侵入している。我々に先んじているつもりなのだろうか?(それはない)

今いる場所は一応谷筋なので、尾根まで坂を上る。

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上りついた。道は右へカーブ。

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左画像ピンクのお宅が、後日下から見上げたものである。すなわちこの辺りから若松町・深田台境界、つまり尾根線に載ったことになる。先程示した「平坂貝塚」もこの辺か?

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お墓、そしてお寺の屋根が見えてくる。

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右画像左の木の向こうでコースに合流する。

HirasakaE2.png
地理院地図を加工)



ついでの様になってしまい大変申し訳無いのだが、本記事の最後に龍本寺をご紹介する。

先程の、この道が表参道であろう。右画像は突き当たった、お寺の入り口の階段。

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因みにこちらのページ(【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その14:写真集…衣笠駅前→法塔十字路)地誌のはざまに)、さらに元ネタのこちら(法塔 『二大霊場を結ぶ』ふるさと横須賀)によれば、この門前の参道は、鎌倉経由の浦賀道から衣笠の「法塔十字路」で分岐する古い道(あるいは若干改修された道)で、その一部(旧三崎街道の部分)は、聖徳寺坂を下り大津で合流する経路をとる金沢経由の浦賀道の、さらにその古道であったとのことである。

尾根変態でないかぎりは、龍本寺へのアクセスは、平坂から例の谷筋の坂道に回りこの参道を進めばよく、わざわざ大変な階段を上って来ることはない。

だが変態である我々は、お墓の方からうにうにと失礼する。

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龍本寺

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米ヶ濱のお祖師様」と呼ばれていたいうことで、その「米ヶ濱」、迅速測図では微妙なところに表記があるが、現在の地名「米が浜通り」等々からして龍本寺から東、あの変な岬(変ないうな)田戸崎辺りまでをそう言ったのであろう。
その辺りの海岸、迅速測図ではずっと断崖絶壁でとても浜と言えるような代物ではないが、例の城ヶ島みたいなこんな感じの浜(ただし断崖の高さはこの倍)だったのではないか。

まさにこの龍本寺は、断崖、岸壁の端っこに建っているお寺なのである。断崖、岸壁と言えば二葉百合子か船越英一郎と相場が決まっている。(だから何の相場だよ)
お寺の境内から見下ろせる現在の米が浜方向(左画像の建物は、横須賀共済病院)。まさに龍本寺は船越英一郎にうってつけのロケーションなお寺だったのである。(何がうってつけ、だよ)

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龍本寺に関しては、公式のサイトや横須賀市等の公的なページも無いようなので、こちらのページをご紹介しておく。
なお、ここまで尾根探索の頼りとしていた旧横須賀町・豊島村境界若松町・深田台境界は、この龍本寺で使命を終え、岸壁を下って海にドブンと沈む。旧横須賀町の領域はこの龍本寺高台のトンガリで打ち止めだったようである。

そしてここから先はしばらく、境界でなくなった海岸ぎりぎりの絶壁上の尾根をたどることになる。


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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その2 中里神社 [三浦支尾根プロジェクト]


ここでまた町名、町界の話である。
ここから先の尾根道若松町(左側)と上町(右側)との境界となる。
前々回参考にした「横須賀の町名1989」によれば、はまゆう公園崖上からここまでの尾根道は、一部例外はあれど概ね旧横須賀町・豊島町境界であった。そしてこの若松町・上町境界もほぼ、旧横須賀町・豊島町境界である。

文章でご説明しても、「わけがわからん!」「けしからん!」「代案を出せ!」とかおっしゃる方もいらっしゃるかと思うので、現在の町界と、過去の旧町界のだいたいの感じを図にしてみた。
(以下の地図に加工した境界のラインは、今後若干の修正が行われる可能性があります)

YT1.png
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地理院地図を加工)

下図、グリーンのライン旧町界青いライン今昔マップの「迅速測図」に基づいて引いた1870年代の海岸線である。どちらも図面を目視、マニュアルでラインを引いたものなので、厳密なものではないことをご了承いただきたい。(大勝利山付近の旧町界はもっと尾根よりかも)

ここで重要なことは、この若松町・上町境界は、あの平坂(県道26号)をその坂の途中で横切っているということである。
これは大変な事態である。カタギの国であれば、財務大臣どころか総理のクビが飛んでいてもおかしくないレベルだ。(何言ってんだ?)

つまり上記で述べたように、旧横須賀町・豊島町境界がここまでで概ね現在探索している尾根線に近いのであれば、この先の平坂をクロスする若松町・上町境界、すなわち旧横須賀町・豊島町境界は、そのまま尾根の痕跡として我々の引いたW1E1尾根ラインを担保する可能性があるということである。

KannonH4.png
地理院地図を加工)

現在の町界に基づく横須賀町・豊島町境界と目されるラインと、我々の引いた尾根線とを重ねてみよう。

Hirasaka.png
地理院地図を加工)

少なくとも平坂龍本寺近くまでは、なかなかナイスである。クールである。ヒュ〜ヒュ〜である。カキーンカキーンである(やかましい)
境界の根拠が地形などよりも、どちらかと言えば道路主導になっているであろうところを考慮したうえでも、これはかなりいい線ではないか。

平坂から先(西側)に関しては次記事であらためて議論することにしよう。

後出しでこれを書いている机上の私は、ここで旧町界という強い味方を得たような気持ちになっているが、例によって何も考えていない現地のなめこさんは、とりあえず片側が上町の境界を適当にぷにぷにたどればいいんだな、と安易に考えて大勝利山から逆方向に引き返す。

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みごとな尾根道である。右画像は左側もちゃんと谷で落ち込んでいるんだぞ、という画像。

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さらに尾根道。この手前ぐらいで4度目の若松隧道越えをしているはずである。

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もうこれとか、今思い返しても涙が溢れそうなくらいに(溢れるのか?w)素敵な「都市尾根道」の典型である。

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道の両側は、確実に標高的に落ち込んでいる。まさに尖った尾根のてっぺんに道が通っている。尾根変態的には、山道を歩いていると、いわゆるやせ尾根なんかちょっとぐっとくるが、それに相当するものが人々の住まう住宅地に存在しているのである。自然地形をつるぺたに開発しないで、しっかりとんがった尾根を温存してくれているのだ。
生きててよかった。(はい?)
正直この辺りが尾根変態的には本探索の最初のクライマックスかと思っている。
だが感動している場合ではない。本記事と次記事でW1E1説に決着をつけるのだ。先を急ごう。

右がちょっと高くなってきたかな。大雑把に言って、ここらがW1W2の分岐であろう。

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坂を下る。左画像の先に、中里神社へ下る右への分岐が見えるが、ここは直進する。

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Googleさんの地図ではこの先行き止まり
実際頑張って行ってみるが、地図通りあぼーん。

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尾根は右画像右方向だが、塀で進めない。

Googleさんとは別に、地理院地図ではこの先尾根を下る道が描かれている(右画像正面方向?)が、例によってカタギはやめておいた方が良い感じだし、第一この先は尾根筋ではない。(こんなところ辺に出るようだ)

Uwamachi-3.png
地理院地図を加工)

戻って先程の分岐を右、中里神社の方へ下る。

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今歩いているのは、W1W2の間の谷に下る坂である。後で出てくる中里神社の沿革書によれば、谷の名前は「稲荷ヶ谷」。

先程の、行き止まりから先の尾根を望む。

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谷に下りきったところで、再度左方向にあるその尾根に向かってみよう。

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上で遠望した画像の右隅に写っている階段である。行き止まりで、「だから何だよ」なのだが、尾根変態としては一応上ってみる。

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遠望画像の2軒のお宅の建っている尾根には、我々は立ち入れない。あれ?左側のお宅はどこからアクセスするのだろうか?

引き返しがてら撮った尾根遠望。先程の遠望の左側、画像中央が行き止まり地点である。

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あらためてちゃんと並べるとこんな漢じ?(左画像一番右のお宅と、右画像左のお宅が同一です)

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ってかここは、この期に及んで何を造成しているのだろうか?(地形図を見ると大きなお宅があったみたいです)

Uwamachi-4.png
地理院地図を加工)

W2尾根線からはずしてしまったお詫びに、中里神社にお参りしていこう。(何のお詫びだよ)

この近傍は今まで何度も通っていて、神社の名前も目にはしていたが、今日やっとお参りすることができた。

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中里神社、ここはなぜか狛犬さんがいない。

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神様だが、倉稲魂命=宇賀御魂命 はざっくり言って「お稲荷さん」なのだそうだ。だから谷の名前も「稲荷ヶ谷」。
伊勢大御神の方は、検索をかけると相馬市の神社が出てくるのだが、まあ名前的にだいたい天照大神なのだろう。「だいたい」とか失礼かもしれないが、向こうは神様である。細かいことは気になさらないだろう。

不信心者の私は、失礼極まりない適当な参拝の後、階段を下る。

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まっすぐに下れば平坂だが、左側(北側)の尾根方向に曲がってみる。

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横須賀の町名1989」を見て後でわかったことだが、この南北方向の道路は、旧々中里村旧々深田村の境界だったようである。
そして上の写真右画像、ゆるい上り坂の正面奥に見える集合住宅の辺りが、先程ダメ元で上った「だから何だよ」の階段の尾根の続き、同時に若松町・上町境界旧横須賀町・豊島町境界でもある。

NF.png
地理院地図を加工)

こちらでちらっと述べているのだが、「旧」だの「旧々」だの言われても,「わけがわからん!」「けしからん!」「この反日売国め!」とかおっしゃる方もいらっしゃるかと思うので、ここらでこの平坂付近の地名町村名の推移をざっと整理しておこう。
  • 江戸時代ぐらいまで自然村
    • 横須賀村、中里村、深田村、佐野村、不入斗村、公郷村、etc
  • 1865 横須賀製鉄所、建設開始pdf)。横須賀村が「都市開発」される。
  • 1871 大区小区制。めんどくさいので略。
  • 1876 横須賀町発足 
    • 町内に字レベルの以下の各町。汐入町、汐留町、谷町、諏訪町、山王町、大滝町、若松町etc.(それぞれ頭に「横須賀」を付けて呼称する。例:横須賀汐入町)
  • 1878 郡区町村編制法。江戸時代の町村がほぼ復活。
    • 横須賀町、中里村、深田村、佐野村、不入斗村、公郷村etc.(ここでは「旧々町村」とする)
  • 1889 町村制。各地でいわゆる「明治大合併」が行われた。
    • 横須賀町+逸見村 → 横須賀町中里村+深田村+佐野村+不入斗村+公郷村 → 豊島村(ここでは「旧町村」とする)
  • 1903 豊島村 → 豊島町町制施行
  • 1906 横須賀町+豊島町 → 横須賀町編入合併
  • 1907 横須賀町 → 横須賀市市制施行
  • 1933-1943 横須賀市が周辺の町村を編入合併。現在の市域+逗子市になる。
  • 1947 地方自治法
  • 1949-1956 横須賀市・町界町名地番整理 
    • 若松町、緑ヶ丘、大滝町、汐入町、深田台、佐野町、上町、田戸台、公郷町、不入斗町etc.
  • 1950 逗子市分離。現在の市域になる。
以上、リンクした各サイトと、文献、一連の「横須賀市史」を参考にさせていただいた。
ここでも一応申し上げておくが、これら地名町村名、そしてその村界町界に関しては、あくまでも尾根探索の一つのヒントとして扱っているにすぎず、その歴史だの経緯だの遷移だのを詳細に扱うのはこのサイトの趣旨ではない。それらに関してご興味のある方は、上記リンクしたような然るべきサイト、あるいは諸文献、例えば最低3種類出ている「横須賀市史」等々を各自ご参照いただきたい。

現在、両村の後身(?)であろう上町と深田台の境界は先述した旧々中里村旧々深田村の境界であるこの道ではなく、東側に平行する平坂になっている。
今歩いているこちらの道は、一見平坂の旧道のように見えるが、この先、現在の横須賀中央駅の方まで下っていたかどうかは定かではない。

若松町・上町境界の手前で平坂に下りる階段。ここが尾根探索のイベントとしての、ドドドッキンな次のクライマックスである。(?)

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ほぼ正面に見えるのが、中央水族館という名の熱帯魚屋さん、その背後の山が尾根の続き、つまりこの階段から先、熱帯魚屋さんの敷地まで、切り通し、掘削したのではないか、ということでご納得いただけるだろうか?
ここがクライマックス的には、あなたの正体、みちゃったぞ〜♪、なのである。(はい?)

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地理院地図を加工)

尾根線平坂の方から見てみる。田戸台へ行ったとき(2018.4.8)、西口からとっとこ坂を上ったときの画像である。
右側に見える水色のフェンスのある階段が現在見下ろしている階段、そして一番左、速度標識の後ろの薄茶色の建物が中央水族館である。

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その間を尾根線が走っていたと想像する。高度なデジタル技術(笑)で再現してみよう。

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わ、何これひどい(笑)(笑)(笑)


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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その1 浦賀道、大勝利山 [三浦支尾根プロジェクト]

横須賀中央スタートである。

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あんな田浦だの逸見だの汐入だの、えっとなんか抜けてるな、ま、いいや、八景凶暴な幼女の乗る普通に乗り換えてえっさえっさ行く駅よりも、快特ぽんぽんぽんぽーんと一瞬で到達する横須賀中央下車は実に爽快である。(普通停車駅最寄りの方々に失礼だぞっ)

そんなわけで、今日もハロウィーンの横須賀で、Go!Go!Go!!!(最初からイヤなノリだな)

ハロウィーン幼女がウヨウヨいる(男の子もいますよ!)平坂界隈だが、なめこさんは犯罪者ではないので(いやほぼ犯罪者だ)画像はない。どうしても我慢できない方はこれで我慢していただこう。(なんではいふり!?)

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そういうわけで(だからどういうわけだよ)上町1丁目交番交差点のこの地図に啓示を受けた私は、ひとまずはまゆう公園崖上の「一段高い」系尾根道へ向かう。

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その後の経緯については、前回のラストの記事で記した。

そして今我々は、中里通りの切り通しにいる。

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尾根道と思われる町界道のつづきである、中里通りをはさんだ向かいの、この階段を上ろう。

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階段を上りついたところで振り返ってみる。谷をはさんだ向こう側が先程辿った尾根線

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昨日、うぐいす坂から上ってきた浦賀道に合流する。

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前回も申し上げたが、浦賀道のこの辺りは南東側の眺望が非常に良い。風景に関してはこちらの記事で既にご紹介しているので省略するが、一応この日の大楠山だけはお約束で貼っておこう。

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さてこの先の尾根線であるが、このまま浦賀道をまっすぐ行っても汐入駅の方へ下るだけである。
道から右方向(東方向)に向かわなければならないのだが、これかな?

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道のこの先の右側が山がちなので、もう少し先まで行ってみる。因みにこの辺りで例の若松隧道をまたいでいるはずである。

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この辺の眺望も良い。汐入駅方面。

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真ん中のビルは、汐入駅前のメルキュールホテル横須賀、横須賀芸術劇場とかがくっついているビルである。その右下に、緑ヶ丘女子中学校・高等学校の建物が見える。学校名の文字も見えるが、残念ながらこの画像では判別できない。こんなのが見えます)

この少し先に東方向に向かう道がもう1本ある。

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そこを入ってみよう。

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む、この柵は、、、私有地?立ち入り禁止?

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品行方正ななめこさん(?)は引き返し、先程の分岐に入ることにする。

Uwamachi-1.png
地理院地図を加工)

プチ峠越え。再びこの辺で若松隧道をまたぐ。

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尾根は左側にいるようだが、そのうちこの道自体が尾根になる。
畑の中のいい道である。

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斜面になった左側を見下ろすと、舗装道路を人が歩いているのが見えた。先程の柵で塞がれた道のようである。あれ?入っていいのかな?

右方向、海が見える。横須賀中央方面。

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道は右に下っているようだが、尾根は左側に続いているようだ。

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そちらへうにうにっと入ってみよう。

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この平らな敷地が何なのかはよくわからない(お宅の跡か?)。何にせよ崖上で行き止まり。根性があれば崖を下って下の道へ出られるかもしれないが、例によってカタギの人はやめておいた方が良い。(笑)

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もとに戻ることにする。

因みに、浦賀道からこの辺りまでが町名的には緑ヶ丘で、右折してすぐは上町との境界が右側の崖の辺りを通っていたようだが、右側にお宅が接してくる辺りからこの道が両町の境界になる。

「緑ヶ丘」という近代的な地名は、先程遠望できた学校名と一緒である。地名から取られた学校名であろうと思われる方もいらっしゃるだろうが、開成町自由が丘などの例を出すまでもなく、その逆の例もあるから油断がならない。
緑ヶ丘の地名の由来は、こちらのpdf(横須賀市内地名考察)から引用すると、
25、緑ガ丘
この地名は町名地番整理によって諏訪町や山王町の各一部を一括して、昭和二十四年四月一日から緑ガ丘と呼ぶに至った。この丘ということは整理の際の方針として「特定の高台的地形にある住宅地帯には、“何々台”とか“何々丘”とか呼称をつけることができる。」ようになっているためで、この地帯にふさわしく丘の字を用いたのである。
とのこと。「この地帯にふさわしく丘の字を用いた」という曖昧ではあるが現地にいればなんとなく納得できる理由で、昭和24年(1949年)4月1日に町名が発足したとのことである。

だがこの程度の文言で引き下がるなめこさんではない。(はい?)
緑ヶ丘の学校の方のサイトを見てみよう。(→ 学校法人 緑ヶ丘学院
沿革のページを御覧いただきたい。
昭和22年3月 横須賀女子商業学校設立認可
昭和22年4月 高橋美子 初代理事長 就任 山田わか 初代校長 就任
昭和22年6月 緑ヶ丘中学校に校名変更
昭和23年3月 エベレット・トムソン 2代理事長 就任
昭和23年4月 ジェシー・ウェングラー 2代校長 就任
昭和24年2月 緑ヶ丘高等学校設立認可
(以下略)
大変失礼ながら歴代の理事長さんや校長先生のことはここではおいておいて、問題は昭和22年(1947年)6月や、昭和24(1949年)年2月に、既に「緑ヶ丘」の校名が採用されていることである。
学校名が先かどうかは断定できないが、「連動」していた可能性(一緒に決めちゃおうよ♪、みたいな?)は十分あるだろう。

などということを何も考えていないなめこさんは、右の道を下る。

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階段を下り、下界(?)の道に突き当たる。

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尾根線は右方向だが、先程の崖の先を見届けるために左へ進んでみる。

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やっぱり普通に崖だな。尾根線として目で追うのは良いが、やはりカタギはここを無理に下る必要はなさそうだ。(笑)

もう少し先へ進んでみる。
あれ?これはさっきの柵の道の出口?

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なんか左側の隙間から入れそうだが、品行方正なこのブログ的には侵入するのはやめておこう

後日、もう一度この前に来たのだが(2018.5.27)、そのときにはこの立入禁止的な状況の明快な理由が表明がされていた。

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え?がけ崩れ?
そんなもん中に無かったぞ(←侵入してんじゃねえかよ!w)
はいはいこの話は終わり。先に進む。(またごまかしてるな)

む、何か立ってる。リヒャルト・シュトラウスが頭の中で鳴り響く。(あんたは何か立ってるとみんな2001年かよ)
大勝利山

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右側のごちゃごちゃした山が大勝利山か?

大勝利山に関しては、柱立ててるくせに(横須賀市?)公式な案内説明は見つからない。質問コーナーのこれだけである。(→大勝利山周辺整備について)
言及している個人の方のサイトはいくつかあるが、この下にある豊川稲荷(徳寿院)の碑をシンプルに紹介しているこちらのページがもっとも信頼できるであろう。(→神武天皇遥拝所(豊川稲荷)
先程の質問ページには「日本海海戦」がどうとか書いてあったが、これによれば日清戦争の勝利によって開かれた山なのだそうである。

階段を下ると、その豊川稲荷(徳寿院)があるようだが、下るとまた上るのが面倒なので、今回はスルーすることにした。後日行きました

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逆方向、尾根のつづきにへ進もう。

Uwamachi-2.png
地理院地図を加工)

中里神社へつづく

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