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里山 その9 里山ガーデンの過去 [中山、三保、白根?]


最後に、この里山ガーデン付近は実際にどのように変化したのか、無理やり合成した地図で確認してみよう。

その前に例の「谷戸めぐり」のサイトで、この地域の谷戸名、地名を調べてみる。横浜市旭区上白根町横浜市緑区三保町にまたがった領域、三保町の地図には記載が無いが、上白根町側には「三谷」という名称のピンが打ち込まれている。
記述されている3つに分かれる谷とは、西から分水界道路つつじの分岐の先の右側あまり高低差のないと言った谷戸、区界の谷戸、大花壇の下のピクニック広場の芝生の谷を指すのだろうか?あるいは最初の谷戸が不明瞭であれば、「創造と森の声」入口〜ひかりが丘の尾根道をはさんだ南側の介護施設のある谷までを含めるのか?
今昔マップの歴代の地形図をみるかぎり、「三谷」は南側の谷戸の集落の地名のごとく描かれている。つまり集落と奥の谷を含めた地名、すなわち後者のような気もする。

「三谷」の地名の由来はともかくも、南側の集落の谷戸を除いた北の2つないしは3つの谷戸を含む里山が、現在の里山ガーデンの開発域である。

古い地図の方が良いのかもしれないが、そんなに昔のことはわからないので、とりあえずは現時点でキャプチャーした、まだ里山ガーデンが描かれていない地理院地図を切り出す。まずは最大拡大縮尺のものから。

SatoyamaChiri.png

残念なことに一段階縮小の地図に比較していくつかの道が消滅してしまい描かれていない。なのでその一段階縮小の地図を使用することにする。

SatoyamaChiri2.png

等高線を読めば、この範囲内には先程の「三谷」を数えたときの前者3つの谷、一点鎖線、区界の谷が真ん中、その左右に一つづつの谷が観察できる。集落の描かれたもう一つの谷は右下(ひかりが丘団地)のさらに南東の図面外に存在する。

次に、上記里山ガーデンのサイトの地図である。

SatoyamaGarden.png

順番が逆なのだが、先程の地理院地図はこの地図の範囲を切り取ったものである。

この2つの地図を高度なデジタル技術(←やかましいわw)えいやっ!と合成してみる。

SatoyamaChiri_Garden2.png

お気づきかも知れないが、意外なことに、いやむしろ当然のことなのだろうか、ワイドな舗装道路を始めガーデンの通路として造られた道路が本来の道筋に重なっていることが多いのがわかる。
外周園路の北側区間区界の中央園路大花壇の北側尾根道(←画像分岐右)などは、ほぼ元からの道をなぞっている。私がぷんぷん怒っていた正面入口付近の外周園路もそうである。

一方、公式サイトの地図を見て、消滅、あるいは廃道としてしまっていると思われる道路は、ピクニック広場谷から南のいくつかの道路、中央園路から分岐する地図では太っとく二重線で描かれている例の掘割の道路)、などである。「蝶の木工アート」の手前だかにあった道は地図では確認できない。
ピクニック広場谷の方には降りていないので、実際にその辺りがどうなっているのかは確認していない(開催期間中にもう一回行けるかな?。ご覧になっている皆さんで機会があれば、是非ご確認いただきたい。

ここで一つの疑念が生じるのだが、その前に、こちらの地図は切り出さないが、自治体や字(町名)の領域の境界が明確にわかるMapionの地図をご覧いただきたい。区界(横浜市緑区、旭区境界。過去には都筑郡新治村、都岡村境界、さらに過去には同久保村、上白根村境界と一致すると思われるが厳密には確認していない)が里山ガーデン領域で分水界から外れる部分を、これまで適当に真ん中の谷筋を通ると述べてきたが、この地図でみるかぎりそのコースは地理院地図に描かれた道、現在の中央園路と一致する(面白いことに、正面入口方面へ登って分水界に復帰する辺りは、例の分岐している廃道を通らず現在残されている坂の方を通っている)。さらに分水界東側から見て手前、武蔵中山台の方から例の「土手」を谷へ下るコースもあの例の道と一致しているようだ。つまりこれは尾根や川のような自然地形ではなく、これらの道を境界としたということなのだろう。

さてそこで疑念である。地理院地図に里山ガーデンが描かれていないとしたが、これは開発中の地図でガーデンのための道ができている時点のものではないかと。であれば一致して当然だ。同じものだからである。
だが私は少なくとも周回園路の北側の一部(東側)が2年前にあったことは記憶している。区界の中央園路の存在はものすごく記憶が曖昧だが、区界に新しく道路を造ったというよりは、上に記したように元々あった道に境界線を引っ張ったと考える方が自然である。

とまあ私がここでうにうに実際に考えるまでもなく、例の「まちへ、森へ。」のこちらのページには、
中央園路
かつての森の、杉の谷伝いに中堀川(帷子川・かたびらがわ支流)源流の谷戸(やと)へと降りていく山道
外周園路
中堀川(帷子川支流)と梅田川(鶴見川支流)の流域を分ける尾根道伝いに谷戸へと下りていく道
としっかり記述されている。

中央園路脇の廃道についても書かれている。
かつて歩いたもうひとつの山道は、今は通ることができない。
この廃道が、例えば浦賀道のように歴史的な意義があるのか、それともこのご近所の地域やこの地に関わりのある誰か個人にとって意義がある道なのかどうかはわからない。ただ言い知れぬ微妙な残念感のようなものは、そちらのサイトの記事を書かれた方も共通の思いなのではないか。

上記地図と同じエリアの地理院地図の航空写真を切り出したものを合成する。なんか見づらいし、重ねてみることに意義があるのかどうかはわからないが、一応載せてみる。

SatoyamaPicture_Garden.png

先程のサイトの別のページにも言及があるが、現在の大花壇、そしてピクニック広場のある斜面には、かつてちょっとした畑地があったようだ。
私は過去(2年前、1年前)にこの畑を見ていない。航空写真で見ても開けた感じであるがこの一角には入っていない。そのときも突然呼び出すなんてどういうつもりな秘密の畑園(笑)のようなものだったのであろうか。

最後に合成なしの地理院地図の航空写真を載せる。ありし日の里山としての使命を果たした「三谷」の姿に思いを馳せていただければ幸いである。

SatoyamaPicture.png


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