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時宗 [くだらないこと]

フェアプレイポイントだか何だか知らないが、あれはあれで良いのである。そういうルールだからだ。玉川さん(誰だよ?)が熱弁を奮っていたが、所詮は玉遊びである。一部の観客は憤慨しているようだが、知ったことではない。少なくともこの国では命にかかわることではない。民主主義の政治の場で、相手の言論を封じるために幼稚園児以下の意味のかけらもないおしゃべりをぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらしゃべったあげく、相手をせせら笑うような「アレ」とはわけが違うのである。
いや、その幼稚園児以下のくっそくだらないおしゃべり野郎も、ルールに則っているのだろうとおっしゃる方もいらっしゃるかも知れない。ひょっとして、「発言者、もしくは発言者の発言しようとする内容が意に沿わない場合、国務大臣はその発言をあらゆる方法で妨害することができる」という条文がどこかにあるのかもしれない。(ねーよ)
仮にそういうルールがあったとしても、そこで行われているのは民主主義政治である。条文化されたルール以前に、理念というものがある。いやそんな抽象的なものではない、「憲法」という明文化されたルールが存在するのである。 例えば、前文の1セクション目、あるいは21条辺りであろうか。国民の代表者である国会議員の発言が、国民の奉仕者(公僕とも言う)である国務大臣(の職に一応(笑)に就いている者)ごときに妨害されるいわれはないのだ。

唐突だが、ここで一遍上人の話をしよう。

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江戸の方から東海道をずんずく来て、権太坂だの大坂だのめんどくさい坂を登って、やっと相模湾沿いの平野に出るか?という下り坂の袂に、藤沢の遊行寺がある。遊行寺と言えば遊行上人、その初代は一遍さんである。ここには小栗判官の話もあるが、横須賀製鉄所のオグリンとは関係ないし、今は語らない。(オグリン言うな)
例によって、軍事同様、宗教に関しても生半可な知識しかない無宗教なめこさんだが、一応Wikipediaを読んだいい加減な解説をすると、一遍上人の開いた時宗とは、バリバリの鎌倉宗教(バリバリ言うのやめろ)、なんでもちゃんちゃか踊りながら念仏を唱えていると極楽浄土へ行けてしまうという、Do you wanna dance to nightな人にはまさに極楽のような宗派であるとのことだ。そう、誰もがダンシング・ヒーロであれば、死ななくても良いのだ。(いいのか?この説明)
怒られるかも知れないので、そういうふざけたことを書くのはこれぐらいにしておこう。

情報通の方は、この時宗の某寺院で何があったかご存知かと思うし、上でリンクした遊行寺のサイトにも記されていることである。この時宗、開宗当時の北条政権から、後の都合からあえてぼかすが、もう一方のあっちの宗派などと比較して、それほど露骨な弾圧を受けていたわけではないようである。なので、表面的には権力に対して一物持っているものではないのかもしれないが、そこは一切衆生を救うべき大乗仏教である。だからと言って昨今の体制側の大好きな人権侵害、ヘイトツィートなどをして良いものではない。
そして時宗本山は、以下のメッセージ、見解を出している。


いわゆる「ネットで騒がれている」状況の時点での対応が比較的早く、それはそれで評価されているらしい。そんなことは当然のことではあるとは思うが、未だに国の有り様に関わる不祥事をまともな謝罪もせず、誰も責任を取ろうとしないどこぞの政権や官僚どもと比べれば、仏教的に言えば何不可説不可説転倍ほども素晴らしいことである。
だがしかし、私のような中途半端な者はともかくも、ネットだのTwitterだのご存じない方がこの事実を知られれば、それはそれでまた今度は、例えば、鎌倉に所在する諸々の寺院に対する信頼も同時に失われることにもなることだってある。あの程度のレベルの低い生臭坊主が他にいやがるとは思わないが、これからは鎌倉でうっかりお参りすることもできない、なんてことにもなりかねない。信仰心などかけらもない私だが、仏教を伝来したきた国、地域に対してヘイトするような生臭のいる寺で、わざわざコインを投げてお参りする気には全くならない。

そして、先程も少しふれたが、鎌倉仏教と言えばもう一つ、アレ。うっかり糾弾すると●●されると噂されるアレである。あちらは、当時の政権、渡辺謙やら北村一輝(それは中の人だ)からバリバリに弾圧された(だからバリバリ言うな)というのに、いまや体制側である。悪法、少なくとも国民の殆どから同意を得ていないような法律を、腰巾着している凶悪政党に共謀して大量生産しているような、いわば宗教のクズである。いや、アレはもはや宗教でもなんでもないのかな。あ、本家本元からは破門されてんだっけか(笑)(哀れな信者の皆さんは、無理してこんなクソブログ読まなくてもいいんですよ)

まあ仏教が戦争中に何をやらかしていたかは、幼稚園以下の知能でないかぎりはちょっと調べれば理解できることであるし、それ以前の長い歴史をご存知の愛国心あふれる善良な国民の皆様は、それこそ仏教的な精神ですべてに目をつぶって許容している部分もあるのであろうが、先程も申し上げたように、私には宗教心のかけらもないのである。あまりいつまでも静観を決め込むようであったり、ことによって大和朝廷開闢以来の極悪政権に加担するようなことでもあれば、私にもそれなりの考えがある。
それも私の革命である。

もっとも私が仏像に落書きしようが、賽銭箱に●●●を投げ込もうが、お巡りさんを呼ばれるだけのような気もするが。(マジでそういうのやめろw)

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