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中央構造線 上 [地学]

まだ、今みたいに尾根変態になる以前、18きっぷで「水郡線」に乗ったことがある。石岡に行って看板建築だの国府跡だの見て、時間が余ったので水戸から迂回して帰ろうと思ったのである。

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そのときは咄嗟でわからなかったが、水戸からだと迂回どころか全然逆方向で、終点の郡山で、東京方面が1時間待ち、19:40黒磯行までないとわかったときには途方に暮れてしまった(貧困層の私に新幹線の選択肢はない)。それでも東北線を黒磯、宇都宮と乗り換え、上野で23:44桜木町行の京浜東北に乗れてしまったので東京の電車は恐ろしい。

水郡線は水戸から郡山まで(厳密には安積永盛駅まで、それと常陸太田までの支線がある)、茨城の海側から福島の中通りに抜ける。途中、「久慈川」流域から「阿武隈川」流域の分水界を越えるのだが、分水界越えの実感がない不思議な路線である(トンネルがあるが、これは阿武隈川支流同士の小分水界である)

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路線上の両川の分水界は棚倉という町の平らな市街にある(分水界業界(←なにそれ?)では有名らしく、「棚倉 分水界」で検索すると色々と面白いサイトが見つかる)。前半は久慈川の幅の広い川面がずっと線路に寄り添い、最後は阿武隈川の幅広い川面で閉められる。その間に山越えらしきものはない。路線は阿武隈山地と八溝山地(筑波山のある山地)の間の「谷間だけ」をひた走るのである。印象的には東北本線の走る中通りへ山越えする感覚があったのだがそうではない。

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この阿武隈山地と八溝山地の間のラインを「棚倉構造線」という。このラインの両側では、地質の基盤や構造が全く異なるらしい。ラインの東側を東北日本、西側を西南日本という。

そして西南日本を南北に分割しているラインが「中央構造線」である。

「尾根探索(笑)」の趣味は私に取って、どちらかといえばトポロジー、いやベクトル解析かな?いずれにせよ幾何学的数学的な興味であり、地質学的興味とは少し違う。
地方のローカル高校出身で授業に「地学」が無かったため、私には地学の基礎知識がない。大学の一般教養で選択したのだが教員のミスで単位は取れておらず(他で単位が足りていてめんどくさいのでそのま放棄した)、講義の内容の記憶もない。
にも関わらず、日頃から「三浦は断層の宝庫」だの「断層の麗人」だの無責任なことを言っているので、この機会に中央構造線について少し勉強してみることにした。
中央構造線についての説明は、ここがわかりやすい → 中央構造線っなに?

(以下何か間違い等があればご指摘ください)

「地学」知らなくても地図を眺めるのが好きな人は、紀伊半島の真ん中辺から和歌山、海を越えて徳島から松山までの四国の北側に怪しげな直線状の谷が走っていることに気づくだろう。さらに紀伊半島の東側、伊勢湾を渡り中部地方、長野の諏訪湖あたりまでもその延長として怪しいラインがある。
食器で有名なマイセン出身の、ナウマン象で有名なナウマンさんが、このラインを中央構造線と名付けた。確かなところで、ラインの西側は伊方発電所付近を経由し海を渡って九州に達し、一方東側は諏訪湖から先、角度を変えてさいたまの岩槻の地下あたりに達していることまでは確認されているらしい。西側のその先は阿蘇山の下を通って熊本を通過し長崎の軍艦島の方へ達するものと、その少し南側、八代を通過し川内発電所方面に伸びているものが候補としてあげられている。東側にもいつかのコースが候補としてあげられているが、南は匝瑳市(難読地名)や旭市方面、北は東海発電所方面に向かっている。

中央構造線っなに?のサイトより

色々見て、棚倉構造線の記述が出てきたとき、水郡線のことを思い出した。棚倉構造線の存在理由は色々あるようだが(プレートの違い(北米vsユーラシア)とか、何かものすごい横ずれが起きたとか)、「地学」が無かった私のレベルではよくわからない。ってかプレート境界ってヤバくね?と思ったが、海底ではなく地面の上にあると比較的大丈夫らしい(Wikipediaの地図)。

しかるに中央構造線はプレート境界ではない。別のプレート運動によって後天的に生じた正真正銘の断層(断層帯)である。
「日本列島の素」は、ユーラシア大陸プレートに次々と海洋プレートが襲来して(←何かみたいだ)めりめりめりっと大陸の下に潜り込んできたとき、海洋プレート側の海の底に沈んでいたものが剥がされてぺたぺたぺたっと大陸の端っこにくっついてできたものらしい(付加体という)。そうこうして「日本列島の素」が大陸の仲間入りしていたとき、別の方向から来た海洋プレートによって変な方向に力が加わり、横ずれ断層がいっぱいできてしまった(タンルー断層系という)。その断層群の一つが中央構造線である。これがジュラ紀のこと、恐竜が地上でぶいぶい言わせていた時代である。

その後、「日本列島の素」部分は大陸に別れを告げることになるのだが、ここで「観音開きモデル説」というものが登場する。その力の源が何なのか「地学未履修」の私にはさっぱりわからないのだが、何でも「日本列島の素」の地面が東側は反時計回り、西側は時計回りで回転しながら大陸から移動し弧状の陸地が生じ、大陸との間にばっくりと空いた穴が日本海(東海ともいう。日本から見れば西海、いや西北海だがめんどくさいので日本海で通す)、回転方向が違うためにぱきっと割れた部分に色々なものが堆積したのが「フォッサマグナ(←ナウマンさん発見、命名)というのが現在の日本列島の形状ができるまでの説明である。新第三紀中新世、ヒト科(オランウータンや、ゴリラ、チンパンジーの皆さんを含む)が出現した時期のことである。



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