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ドアを開け君が来る気がするよ [楽しい音楽の話]

前記事の続きである。

あんなくだらない内容の記事でも結構時間をかけて書いたのだが、公開した途端、ディランサイドがHPからノーベル賞の記述を削除したとか、一連のディランの態度に選考委員が激怒したとか、愉快なニュースが入ってきた。
これは面白いことになったものである。

格別にファンでも無いが受賞は目出度い的な趣旨のことを書いた。厳密には、胡散臭かろうが何だろうがそれなりの選考の経過を経て受賞が「決定」したことが目出度いということである。
だがそれを本人が受けるかどうかは別問題である。実際に賞をもらうもらわないは本人の自由だろう。
かつて、勝手に「博士号」を押し付けてきたと言って辞退しまくった明治の文豪がいる。
また、MBE勲章をもらったことにずっと違和感を抱え、自分のソロシングルがヒットしないことを口実に、バッキンガム宮殿のポストに勲章を返却したビートルズのメンバーもいる。
「賞罰」というものは、「罰」はともかくも、「賞」は授ける方がやるんだからありがたく思え、という性質のものではない。スルーされたから怒るとか、選考サイドの器が小さすぎる。

こう考えてみたらどうだろう?(←堺雅人の山南さん風に(←なぜ今、山南?)

例えばなめこさんが「なめこ賞」というものを制定したとする。(なにそれきもい)
でもって受賞者を仮に大島優子にでもして、優子さんに手紙で受賞のお知らせを送りつけたとする(やめろー)。まあスルーされるかもしれないが、もしかして「これ受けるー♪」とか言って「ありがとうございまーっす♪」とか返事をくれるかもしれない(くれねーよ)。そこまでは良い。だが授賞式をやるから東京都大田区のなめこさんの自宅まで取りに来いとか言ったら明らかにスルーされるだろう。しつこく強迫的に迫ったりしたら、それこそ「お巡りさーん」ということになろう。それを無礼だの言って激怒するなどもってのほかだ。(勝手に一人でぷんぷん怒る分にはかまわないと思うが)
同じ、人の名前のついた賞である(なめこさんって人類だったのか?)。なぜ「なめこ賞」だけ警察沙汰になる!?(良い子は真面目に考えてみよう)

今日は疲れた。
何なのだ横須賀は。どこもかしこも表通りから外れると迷宮である。中央から平坂登ってちょっと脇に入った途端迷宮、ラビリンスである。
もしもなめこさんが横須賀で行き倒れたら
「め、迷宮じゃ〜。よ、横須賀は地獄の迷宮じゃ〜」
と横溝風に叫んで事切れるに違いない。
横須賀をDisるつもりは毛頭ない。急な坂道を登ればたいてい海と大楠山が見える風景はやはり素敵だ。
ただ今日は疲れた。その報告はまたいずれということで、鍋のセットと鳥のつみれが安かったので、鍋やって、ブラタモ観て阿部ちゃんのドラマ観て、とっとと寝て太ることにする。


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片隅で聴いていたボブ・ディラン [楽しい音楽の話]

又吉みたいにディラン、小説でも書いたのかと思っていたら、歌詞そのものがノーベル賞なのだそうである。
なるほど、そういうのもアリか。

ならば日本でもいっそのこと、何とか春なんとかとかばっか推してないで、この際、秋元康あたりを推したらどうだろう。そう、「あまちゃん」で振り付けやってて「この薄汚ねーシンデレラめ」と呟いた人(←それ、違う)。「んとにもう体だけは大事にしてください」の息子である(←それも違うからっ!)
将来の嫁にボーカル取らせた「アンブレラ・エンジェル」は傑作である(←このロリコンがっ!)以前言及した渚の『・・・・・』」もこの人の作詞である。そして最近のご活躍については申すまでもあるまい。
ということで、これからのノーベル文学賞はなめこさん的には秋元推しということで(せめて松本隆ぐらいにしておけ)

60年代、70年代の洋楽にやたら詳しい年齢不詳なめこさんだが、ボブ・ディランはあまり聴いたことがない。洋楽邦楽にかぎらず、歌詞先行の曲やアーティストはどうも苦手である。とくに洋楽は歌詞がまったくわからないケースがほとんどなので、どうしてもファンになるには楽曲先行になる。
そんなボブ・ディランだが、「ハリケーン」という曲は好きで、「Desire」というアルバムだけはなぜか持っている。Desireの言葉の意味を知ったのは中森明菜ではなく、このアルバムからである。

「ハリケーン」とはRubin Carterという米国の黒人ボクサーの源氏名(←リングネームと言え)である。世界チャンピオンにもなれると言われた人だが、ある日無実の罪で捕まり、白人陪審員によって有罪にされ、20年間刑務所から出てこれなかった。結果チャンピオンにもなれない。この曲がリリースされてから、さらに10年以上も出てこれなかった。この歌詞のメッセージ、今でも確実に存在する差別の問題に関して、どこだかの国でも他人事ではないのだが、それについては今ここでは語るつもりはない。歌詞や曲に興味のある方はまずはこちらの素晴らしいサイトをご覧あれ。

日本語東京方言しか話せない私に聴き取れたのは、「Here comes the story of the Hurricane」の部分だけである。ふむふむ、ハリケーンの物語が始まるわけか。ってかタイトル「ハリケーン」だし。
この曲に惹かれたのは、まず長い。もっと長い曲もあるが、アルバムの冒頭でいきなり8:33である。何でもシングルカットしたとき(もちろん当時はアナログレコード)、曲の真ん中で半分に切ってA面、B面に収めたとか、それぐらい長いのである。プログレファンのなめこさんは、取り敢えず長い曲は好きだ(何か根本的に違っているような)
曲の後ろの方で、歌詞が字余りだったのかリズムが崩れるところがある。これがギターのストロークで根性で治っているところを聴いて「かっけー」と思った。後で無理やりリズムセクション付けてリズムがトチ狂っている「サウンド・オブ・サイレンス」などとはわけが違う。
ぴこぴこリズムの固定が主流になる80年台以降とは異なり、この当時の録音の演奏のライブ感は半端ない。通常音楽をやっても何かの作業をしてもリズム感が悪いと言われる私は、この手のライブなノリでリズムがバンバカ狂う曲を聴いていると「もっとやれー」と言いたくなるような変態である。日本の60年代歌謡など(GSとか)かなり凄まじいものがあるが、このあたりの話をすると長くなるのでまたの機会としてやめておく。あ、ジャンルは違うが、フルトベングラーなども有名ですな。

ボブ・ディラン、しかも「ハリケーン」に関してこんなアホなことを書く者は他にいないだろうし、往年のファンには激怒されそうだが、世の中にはディラン嫌いな人もいる。私のボブ・ディランに対する感情はこの程度、熱狂的なファンではないが、嫌いでもない。加えて、せっかくなのでもう少し歌詞に興味を持ってみようかな、と思ってみたりもする。
ノーベル賞は理系はともかく、人文系はかなり胡散臭いと言われるが、とりあえず自分の知っている、アルバムも一応もっているアーティストがこの胡散臭い有名な賞を受賞するのは、自分の住んでいる街がオリンピックの開催地に決定することなどよりは遥かにうれしい。

そんなわけで(全然まとまってないぞ)、今後私は秋元推し(だからそれやめろって(笑))、そしてノーベル生理学賞には小●方●子さんを是非。(わーっ!!!)


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音楽の話 その3 [楽しい音楽の話]

3.社会情勢の変化
さっきから貴族さんだの一般庶民だの言っているが、歴史的に目立たなかった一般庶民(いわゆる市民階級)が主流になるのは、近世ヨーロッパで言えば当然のことなのかもしれないが市民革命の前後、英国のピューリタン革命はちょっと早いが(速攻で復古しちゃったし)、その後の名誉革命→米独立戦争→フランス革命の流れによるものであろうか。これはいい具合に「クラシック音楽」の時代の始まりの時期に重なる。革命との関わりであれば、少し後になるがベートーベンが革命後のナポレオンにラブラブになったのは良いが(いやそういう話じゃなくて)その後皇帝になったらブチ切れ激怒したという話もある。
そして19世紀から20世紀にはいり、大衆社会大衆文化が産まれる。いわゆる「マスメディア」「マスコミュニケーション」の時代である。どちらかと言えば否定的に語られるこれらの社会、文化が音楽の発展に関しては良かったのか悪かったのか微妙だが、すくなくとも世界中の音楽が普く世界中の人々に発信できる環境が整ったことに関しては良かった方に入る部類なのかもしれない。一方で音楽が商業化、産業化され陳腐化されただとか、また一方で欧米などのメインストリーム以外の音楽(これは次項にも関わる)が取り入れられたりしてむしろ多様化されただとか、色々考え方はあるだろう。だが適当なまとめになってしまうが、これが現在。今のの20世紀以降の音楽である。

4.国際情勢の変化
東ローマ帝国を占領し、全欧に衝撃を与えたオスマン帝国(今のタイミングで問題となっているトルコ共和国は1923年にここから革命で成立しているいるので、オスマンは現トルコの一つ前の政体と言える)だが、その後、ヨーロッパとの戦争で敗北を喫し、何となくこの宗教も違う両者は和平ムードになってしまった。チューリップ時代、などというものもある。オスマンの軍楽隊がフレンドリに来欧したりして、もはや敵ではないトルコ(オスマン)は音楽家たちにとってはすっかり憧れの異国になってしまった。そして生まれたのが数々の「トルコ行進曲」であり、現在のブラスバンドの元ネタはこの軍楽隊の編成だということである。
確か「ららら♪クラシック」で言っていたかと思うが、トルコの行進曲のリズムの基本形は単純な1、2、1、2、ではなく、

ドン (休み) ドン (休み) ドン ドン ドン (休み)

となっているのだそうだ。上記を2泊づつ4小節として3小節目が密になるところがミソである。
この譜割が当時ヨーロッパでもトレンド、ブームになったらしく、モーツアルトやベートーベンの「トルコ行進曲」はまさにこのリズムに沿っている。ベートーベンは「第九」の4楽章の一部でも使っているし、シューベルトの「軍隊行進曲」もこれだろう。因に水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」もよく聴くとこのリズムが暗黙に聴こえてくる。米山正夫がトルコの軍楽隊から影響を受けたかどうかはしらないが、行進曲の中に潜むトルコのDNAがはからずも日本の歌謡曲の中にも発現してしまっているということなのであろうか。
これは、バリバリのヨーロッパ西洋音楽が異国の音楽を取り込んだ興味深い例の一つである。だがその後、申すべくもないことだが20世紀に入る前後に、西洋音楽としては劇的なある異国音楽の流入が起きることになった。アフリカの黒人の皆さんの音楽、すなわちジャズである。20世紀後半には、ここから派生したいくつかのジャンルの音楽が完全にメインストリームとなり、音楽界を席巻する。黒人は昔から、そして今でさえ一部の自称文明国家内での迫害の対象になっていたりするが、少なくとも音楽というジャンルの文化ではとっくに世界征服を果たしていたのである。それも平和的に。
ジャズの編成をベースとした少人数でも可能な楽器編成が主流となり、18世紀以降一世風靡した大人数オーケストラによる音楽はちょっと脇に寄せられ伴奏やBGM的な扱いが多くなる。当然そこには電気楽器の存在や、一連の放送、記録メディア、聴衆層(マーケティング)の問題も絡むのだろうが、これもいちいち語るだけ野暮だろうから省略する。
ジャズなどの黒人音楽の他にも、大航海時代以後、貿易目的だけではない文化の交流が世界中で盛んになり、さらには放送メディアなどによって、ヨーロッパ視点で見た場合の諸外国の音楽が容易に流入、また逆に流出するようになった。ヨーロッパから遠く離れた日本もそうだろう。日本の音楽が、前に述べた演歌のようなものを含めて総洋楽かぶれになっていることは説明するまでもない。あっちはあっちで、日本っぽいメロディを取り入れ、歌詞を日本語で歌っちゃうようなアホな日本びいき、あるいは東洋趣味なロックのアーチストさんもたくさんいる。日本人をお嫁さんにしちゃうような20世紀を代表するミュージシャンもいましたな(笑)。
それが現代の「20世紀の音楽」である。

などということ、音楽の科学技術やメディア、それを取り巻く社会や国際情勢による変化を、ハリ・セルダンあたりなら心理歴史学を音楽に応用して今の姿を予測できたかのかどうか、それはわからない。
だが私たちはこれまでの経過を知っている。だから後出しで、ちょっと考えればわかるような話を(いや考えなくてもわかる話を)得意げに延々と長々と語ってみた。

最初の、音楽年代区分を再掲しよう。
  • 〜17世紀初頭:ルネサンス音楽
  • 〜18世紀中頃:バロック音楽
  • 〜20世紀初頭:クラシック音楽
  • 20世紀以降:20世紀の音楽(?)
そう、お気づきになるかと思うが、この周期がもし仮に正確であるのならば、次の変化は21世紀中頃、つまりそう遠い未来ではない。
2050年として、あと30年ちょっとである。間近である。もうその兆しは現れているのかもしれない。

そのとき、その変化が顕著に認められるときまで、私は色々な意味で生きているかどうかわからない。現在の平均寿命、平均余命から考えておそらく生きているのだろうが、それは2016年時点のことである。この先どう変わるかわからない。

音楽そのものの変化としてどういうものが考えられるのか、ヒップホップだのサンプリングだの初音さんだの、あるいはメディアとしてのネットワークだの色々想像してみた。でもこれらは「20世紀の音楽」ですべて語れてしまうような気がする。どれも20世紀の音楽の時代に既にある程度完成しているからである。半可通の私には、今音楽にどんな潮流がおきているのかは見当もつかない。
いずれにせよ、「次の音楽」はもっと想像を絶するようなものの予感がする。

正直、私はその「次の音楽」を聴くのがものすごく怖い。できれば聴かないでおきたい気もする。

音楽の変化は、その内的な変化の他に、
  1. 科学、技術の変化
  2. メディアの変化
  3. 社会情勢の変化
  4. 国際情勢の変化
などの要素が影響すると書いた。音楽に影響する前にこれらにどのような変化が出来するのか。

今、西洋音楽は西洋だけの物ではない。
そして日本の音楽は既に西洋音楽に取り込まれている。

願わくば「次の音楽」が、世界中が幸いになるものであってほしいものである。


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音楽の話 その2 [楽しい音楽の話]

いまひとつ文章が練れていないが(何を今さらだが(笑))、いいたいことは先にあるので、ぐだぐだの状態で公開する。

音楽の変化、発展、進化には、音楽それ自身(楽曲、演奏家や作曲家、あるいはそれ以外の音楽に直接関わる事象、スタッフ)のそれ以外に、いくつかの外的な要因が考えられる。
思いついたものをリストアップしてみる。
  1. 科学・技術の発展
  2. メディアの変化
  3. 社会情勢の変化
  4. 国際情勢の変化
これらのうちには、内容がダブるものもあるが、すべての事象をすぱすぱと切り分けることはできないかと思うので、そのあたりはご容赦いただきたい。また、それらの点についてはその都度言及する。

各要因に関して私の思うところを書いてみる。

1.科学、技術の発展
これらの要因が音楽に与える影響として、一番直接的でわかりやすいのは楽器の製作技術である。鍵盤楽器の普及により「平均律」が一般化したことはご存知であろう。また、各管楽器が単なる筒から現在の複雑な形状になった結果、音域が広がり、同時に移調にある程度無理が利くようになった(←多分)。他の楽器も同様で、結果いわゆるクラシックのオーケストラが、音色的にも音量的にも豊かになった。作曲家のモチベーションも変化し多様な音楽を生み音楽の変化、発展、進化を促したことは否定できないだろう。楽器単独の話であれば「バロック音楽」や「クラシック音楽」あたりの時代の話である。
20世紀に入る前後では、それらとは別の科学技術、いわゆる電力エネルギーによって楽器や声の音量を増幅したり、音色を変化させたり、さらには音自体を作成することも可能になった。同じく電気を用いて音楽そのものを演奏者から、空間的にも時間的にも離れている聴き手に転送することもできるようになった。最後のことはメディアに関することなので次項で言及する。
楽器製作技術の変化は、音楽そのものの変化に内包される部分もあるかもしれないが、音楽以外の数学、物理学、工学などの進化、発展が楽器製作などを介して音楽そのものに影響を与えている事実は疑いはないだろう。
楽器や電気処理以外にも、科学やら技術やらが音楽に与えた影響は色々あるだろう。つまるところ音楽(他の芸術も)は単に何やらファンシーやリリカルな場で、作曲家の羽根ペンか何かでぽわ〜んとできるようなものではなく(そういうものもあるかもしれないが)、芸術からは一応一歩引いた、裏方さん、技術屋さんの存在、仕事も決して見過ごしてはならない状況下で産まれてくるものであるということをここでは言いたいのである(まあ当たり前のことだけど)
そういえば思い浮かぶエピソードとして、コンサート会場などにでーんと控えるパイプオルガン、音を鳴らすのに電力による送風になる前は、例えばバッハのような人が一人でオルガンを弾こうとすると、裏で何人もの人夫さんたちががポンプで風を送るための力仕事をしていたそうな。当時の労働環境の善し悪しはわからないが、彼らはまごうことなき素晴らしき音楽技術スタッフの一員であったことは確かであるということは言える。

2.メディアの変化
ここで述べる「メディア」とは、作曲家によって造られる、あるいは演奏者によって演奏される音楽を最終的に聴き手に届けるための様々な手段、という風に定義、解釈していただきたい。
例えば、バロック以前の音楽で現在流布されているような曲については、たいていが貴族が自分の豪邸に友人たちを招いて演奏会をするという、極めて限定的な「メディア」の状況が説明される。これにより貴族とそのお友だち以外の庶民の音楽が切り離されている可能性も否定できないが、言い方は悪いが、庶民でも演奏会の「おこぼれ」的なものに預かっている可能性はあるだろうし、貴族が領主でしかも演奏者であれば脅してでも(笑)領民にも聴かせようとすることもあるかもしれない。器用な庶民がいれば、貴族が教育を与え自分のお抱え演奏者にするということもあるだろう。そこは好意的かつ楽観的にとらえて、そんな感じの複合メディアで音楽が貴族のみならず普く当時の音楽が出回っていたのではないかと妄想してみる。もちろん庶民は庶民の音楽もあるが、それが貴族的な音楽と遠くかけ離れたものとは思えない。あ、教会経由とかもあるのかな?そして私の妄想では逆の流れの存在もあるのではないかとも思う。
そして、この時代のもう一つのメディアが、作曲家が発信する紙媒体であるいわゆる「楽譜」である。グーテンベルクの活版印刷により楽譜が初めて印刷されたのが1473年とされているようなので、遅くともバロックの時代には楽譜印刷とそれによる流通は普及していただろうと思う。楽譜を入手して、貴族さんたちが友人や庶民の皆さんに得意げに演奏してみれば、当時のヒットパレード、カウントダウンは成立するのである。歌詞付きのものをみんなで一緒に歌えば歌声喫茶(←例え古い)、あるいはカラオケボックス状態にすることも可能である。
この貴族たちのどちらかと言えば閉鎖的な音楽メディアは、私の妄想ではモーツァルトの時代ぐらいまでは普通だったのかな、と思っていた。だが、随分前に「アマデウス」という映画を観てちょっと驚いた。映画なので誇張もあると思うが、「魔笛」というオペラを場末っぽい会場にかけたら、客のそこらへん(ヨーロッパだが)にいそうな庶民のおばさんやおじさんにバカ受けする(ほんとぴーひゃらどんどん状態である)というシーンがある。後の、耳に障害のあるベートーベンが、観客の大拍手が聞こえなかったというエピソードを聞いていたので、そのあたりかと思っていたのだが、一般庶民を呼び込む「演奏会場」というメディアが一般化するのは(私の想像よりは)意外と早かったようである。(戯曲のシェークスピアなどはエリザベスIの時代=東インド会社=江戸初期=1600年=バロック音楽初期、なので、音楽はおいておいて、演劇の劇場の普及はそれ以前、かなり早かった、ということになるのかな。勉強不足だ。。。西洋音楽に取り込まれていない時代の江戸時代の芝居や、それ以前の能や狂言との違いをメディアの観点いから考察すると面白いかもしれないが、現時点でとても私の手に負えない)
それ以降、近代の放送技術や大量生産コンテンツ、録音媒体、ネットワークなどのメディアの変化の状況に関しては語るまでもないかと思うので省略する。
これら、「メディアの変化」によって、音楽の何が変わるのか。
例えば、豪邸とはいえ貴族の私邸とコンサートホールでは演奏者の人数や会場の規模が異なる。次の項目とも重なるが、メインとなる客層も変化する。つまり演奏者たちの編成やそれによる音量、音質、それに楽曲の嗜好の方向性などが大いに変化する可能性がある。バッハとか技巧的にはかっこいいけど、音の厚みとかはベートーベンの方がいいよなー、みたいなのはそういうことなんだろう(どっちがいいとか言っているわけではない)。
あるいはもっと卑近な例としては、メディアとしての記録媒体がアナログレコードからCDに変化した場合、音楽としての一番大きな変化は、私の考えるところ実際的には音質でもフィットする楽曲の作風でもない。もっと外見的な、音楽トータルの演奏時間、そしてランダムな選曲の可否である、と私は思う。貴族さんの家とかコンサートホールで演奏される音楽が主流だったときは、例えば管弦楽曲のような長い曲は、それぞれの会場において「どれくらいやったら受けて、どれぐらいやったら飽きられるだろうな〜」というような計算を働かせる必要がある。放送媒体の時代になったときのエアプレイする「ヒット曲」に関しても最適な演奏時間(放送で飽きられない時間)というものがあるだろう。「ヒット曲」については、もっと即物的にシングルレコードの収録時間にも影響する。収録時間のリミットがある記録媒体がディストリビュートされる状況になって、演奏時間はその収録時間に縛られるようになった。一方でCDの収録時間はベートーベンの「第九」の演奏時間で決められた、などというコールバックな話もあるから面白い。
レコードの時代は、アルバムは裏表4、50分聴けば音楽は終わる。ビートルズの初期みたいに30分程度で終わるCP感の悪い(笑)物もある。だが、最近のCDアルバムは長い(筆者感)。レコードの時代と比較してものすごく長い(筆者感)。まだあるのかよ、というぐらいに長い(筆者感)。てめーいい加減にしろ!というほど長い(筆者感)。今では90分とか当たり前である。だが大丈夫だ。レコードだろうがCDだろうがMDだろうがHDDだろうが、音楽のコンテナが記録媒体になった時点で、聴くことを途中で他人に気遣わず自分の意志でやめることもできる。まあ別に記録媒体に限らず、放送だったらスイッチ切れば良いし、コンサートだったら途中で帰れば良い。ただしそれらの場合はいずれもやり直しがきかないという短所がある(有線だったら再リクエストできるけど)。また、会場が貴族さんちだったら途中で帰ったりしたら後々気まずくなりそうだが。
逆にいつまでも聴きたければ、デジタルの場合はループさせれば良いし、ジュークボックスのようなメディアをいくつもいれられるようなプレイヤーはあまり普及していないとは思うが、パソコンでiTunesとかに取り込んでしまえばいつまでだって聴いていることができる。これらは音楽の視聴環境の変化ではあるが、このような視聴環境の自由化が、音楽の形式が以前と比較してかなり自由になった、結果として前世紀、今世紀と音楽そのものが変化した要因の一つではないかと思っている。長々と今さら語るまでもなく、ここで定義する「メディア」が音楽に影響する重要性について、ご理解いただけているのではないかと思う。


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音楽の話 その1 [楽しい音楽の話]

以前、坂本龍一の「schora 音楽の学校」という番組で、「西洋音楽」はだいたい150年周期で変化している、というような話題があった。
曰く、私の記憶しているところでは、
  • 〜17世紀初頭:ルネサンス音楽
  • 〜18世紀中頃:バロック音楽
  • 〜20世紀初頭:クラシック音楽
  • 20世紀以降:20世紀の音楽(?)
という区切りであったかと思う。

一般にバロック以降の音楽の流れは、ベートーベン辺りを境目にして「古典派」と「ロマン派」に分かれるという区分があるとされているが、この両者にそれほど大きな差異はないという。だから両者は「クラシック音楽」という区分で統合される。私もこの見解には同意である(形式がどうだとか、標題がどうだとか、和音がどうだとか、確かに前後と比較してたいした違いとなる問題ではないだろう)。一応説明しておくと、古典派とはベートーベンまで、有名どころではハイドン、モーツァルトなど、ロマン派とはシューベルト、シューマン、ブラームス、リスト、ワーグナーなどの、それぞれそれこそ「クラシッック」と言えば誰でも知っている作曲家の時代である。
その前のバロック音楽とは、有名どころで言えばバッハとかヘンデルとか、「四季」で有名なビバルディとか、私には、オルガンやら弦やらがうにゃうにゃうねうねしているよな〜という、クラシックファンからすればまさに激怒されるようなものすごく適当なイメージがあるが、まあなんかそんな時代の音楽である。
バロック以前の音楽はよくわからないが、私の理解としては、例えば戦国ドラマとかで織田信長が外人にリュートだかオルガンだかを弾かせて「おおお、これが異国の調べかっ」などと感動に打震えていたりするのが、時代的に「ルネサンス音楽」なのであろう。
番組では言及されなかったと思うが、ルネサンス音楽を150年遡ると15世紀中頃になる。これは奇しくも中世の終焉(最近は異説もあるようだが)と言われるオスマン帝国による東ローマ帝国滅亡の時期(1454)と重なる。ルネサンス文化はその東ローマから亡命してきた文化人によるものやら、古代ローマ復興が目的だのやら言われているから(このへん、あまり詳しくない)、ここらあたりでまた一区切りあったのかもしれない。それ以前の「中世の音楽」という概念もあるようである。

これらの区分は「西洋音楽」限定ではあるが、幕末から明治以降に「西洋音楽」を受け入れ、いつの間にか純邦楽を脇に寄せてしまっている日本の音楽も、現時点ではこの「西洋音楽」にほぼ取り込まれてしまっていると思ってよい。同様にアメリカ大陸はもちろん、アフリカやアジア、その他の諸国の音楽も、もちろんすべてとは言わないが、既に取り込まれてしまっている部分があると言ってもよいだろう。

ここで一応念のため言っておくが、たとえば邦楽の場合、いわゆる「演歌」というご存知のジャンルがある。これは少なくとも現在流布しているものは明らかに、元号で言えば昭和以降に造られた「西洋音楽」である。民謡も五線譜で歌えるようなものはかなりグレーであると言っていいが、まあ元ネタがあるからあれはあれで日本独自の音楽と見てよいだろう。だがこちらの「演歌」をつかまえて「日本人の精神」だの「日本人のこころのふるさと」だの言っている輩がいるが、実に笑止きわまりない。別に「演歌」そのものを否定しているのではない。
そしてさらに言えば、むしろ「演歌」自体は言うほどには罪深くないが、他にもなにやら近代になって捏造された文化に関して、さも日本太古からの文化であるようにありがたがったり人に啓蒙しようとする輩がいるが、その根性が気に食わない。伝統文化であることを主張して、それを他人に強制する。だがその学術的な背景や歴史的経緯は絶対に述べない。身勝手な捏造だからである。こういう厨房は、いわゆる出典は述べないWikipediaで言うところの典型的な独自研究脳である。
何を言っているかわからない人は別にわからないでも良いが、「日本古来の文化」だの「日本の伝統」だの自らアピールしているものは、まずは一応疑ってかかった方が良い。
もちろん折り紙付きの奈良時代の国宝のなんたらだとか、平安時代のなんたらだとか、そういうのは別である。そしてそれらをどう評価しようがそれはそれで自由であるが。
私としては、西洋音楽としての「演歌」が日本の音楽に与えた影響は計り知れないと思っている。21世紀の現在においても、具体例はあげないが、アイドルの皆さんやバンドさんたちの曲でも「おいおいそれ演歌だろう」みたいな曲は散見される。だから「演歌」そのものは、あまり好きではないけれど否定はしない。好きでもない者が偉そうなことを言って申し訳ないが、「演歌」ファンの方がいらっしゃれば、そういう観点で「演歌」が現在の日本の音楽に果たした功績を改めて見直していただけらば幸いである。

話がそれた。
ここで、以下に述べることはあくまでも私見である。音楽はもとより、世界史に関してかなりいい加減な知識しか持っていないので、書いてあることは正確ではないかもしれない。以下に述べることをどう思われるかはご覧になっている方次第である。
明らかに間違っている事実に関しては指摘していただけるとありがたい。

そして最後には私が勝手に妄想する一つの懸念を表明する。

つづく


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