観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その2 中里神社 [三浦支尾根プロジェクト]
その1 浦賀道、大勝利山のつづき
ここでまた町名、町界の話である。
ここから先の尾根道は若松町(左側)と上町(右側)との境界となる。
前々回参考にした「横須賀の町名1989」によれば、はまゆう公園崖上からここまでの尾根道は、一部例外はあれど概ね旧横須賀町・豊島町境界であった。そしてこの若松町・上町境界もほぼ、旧横須賀町・豊島町境界である。
文章でご説明しても、「わけがわからん!」「けしからん!」「代案を出せ!」とかおっしゃる方もいらっしゃるかと思うので、現在の町界と、過去の旧町界のだいたいの感じを図にしてみた。
(以下の地図に加工した境界のラインは、今後若干の修正が行われる可能性があります)
下図、グリーンのラインが旧町界、青いラインは今昔マップの「迅速測図」に基づいて引いた1870年代の海岸線である。どちらも図面を目視、マニュアルでラインを引いたものなので、厳密なものではないことをご了承いただきたい。(大勝利山付近の旧町界はもっと尾根よりかも)
ここで重要なことは、この若松町・上町境界は、あの平坂(県道26号)をその坂の途中で横切っているということである。
これは大変な事態である。カタギの国であれば、財務大臣どころか総理のクビが飛んでいてもおかしくないレベルだ。(何言ってんだ?)
これは大変な事態である。カタギの国であれば、財務大臣どころか総理のクビが飛んでいてもおかしくないレベルだ。(何言ってんだ?)
つまり上記で述べたように、旧横須賀町・豊島町境界がここまでで概ね現在探索している尾根線に近いのであれば、この先の平坂をクロスする若松町・上町境界、すなわち旧横須賀町・豊島町境界は、そのまま尾根の痕跡として我々の引いたW1ーE1の尾根ラインを担保する可能性があるということである。
現在の町界に基づく横須賀町・豊島町境界と目されるラインと、我々の引いた尾根線とを重ねてみよう。
(地理院地図を加工)
少なくとも平坂、龍本寺近くまでは、なかなかナイスである。クールである。ヒュ〜ヒュ〜である。カキーンカキーンである(やかましい)
境界の根拠が地形などよりも、どちらかと言えば道路主導になっているであろうところを考慮したうえでも、これはかなりいい線ではないか。
境界の根拠が地形などよりも、どちらかと言えば道路主導になっているであろうところを考慮したうえでも、これはかなりいい線ではないか。
平坂から先(西側)に関しては次記事であらためて議論することにしよう。
後出しでこれを書いている机上の私は、ここで旧町界という強い味方を得たような気持ちになっているが、例によって何も考えていない現地のなめこさんは、とりあえず片側が上町の境界を適当にぷにぷにたどればいいんだな、と安易に考えて大勝利山から逆方向に引き返す。
みごとな尾根道である。右画像は左側もちゃんと谷で落ち込んでいるんだぞ、という画像。
さらに尾根道。この手前ぐらいで4度目の若松隧道越えをしているはずである。
もうこれとか、今思い返しても涙が溢れそうなくらいに(溢れるのか?w)素敵な「都市尾根道」の典型である。
道の両側は、確実に標高的に落ち込んでいる。まさに尖った尾根のてっぺんに道が通っている。尾根変態的には、山道を歩いていると、いわゆるやせ尾根なんかちょっとぐっとくるが、それに相当するものが人々の住まう住宅地に存在しているのである。自然地形をつるぺたに開発しないで、しっかりとんがった尾根を温存してくれているのだ。
生きててよかった。(はい?)
正直この辺りが尾根変態的には本探索の最初のクライマックスかと思っている。
正直この辺りが尾根変態的には本探索の最初のクライマックスかと思っている。
だが感動している場合ではない。本記事と次記事でW1ーE1説に決着をつけるのだ。先を急ごう。
右がちょっと高くなってきたかな。大雑把に言って、ここらがW1とW2の分岐であろう。
坂を下る。左画像の先に、中里神社へ下る右への分岐が見えるが、ここは直進する。
Googleさんの地図ではこの先行き止まり。
実際頑張って行ってみるが、地図通りあぼーん。
実際頑張って行ってみるが、地図通りあぼーん。
尾根は右画像右方向だが、塀で進めない。
Googleさんとは別に、地理院地図ではこの先尾根を下る道が描かれている(右画像正面方向?)が、例によってカタギはやめておいた方が良い感じだし、第一この先は尾根筋ではない。(こんなところ辺に出るようだ)
戻って先程の分岐を右、中里神社の方へ下る。
今歩いているのは、W1とW2の間の谷に下る坂である。後で出てくる中里神社の沿革書によれば、谷の名前は「稲荷ヶ谷」。
先程の、行き止まりから先の尾根を望む。
谷に下りきったところで、再度左方向にあるその尾根に向かってみよう。
上で遠望した画像の右隅に写っている階段である。行き止まりで、「だから何だよ」なのだが、尾根変態としては一応上ってみる。
遠望画像の2軒のお宅の建っている尾根には、我々は立ち入れない。あれ?左側のお宅はどこからアクセスするのだろうか?
引き返しがてら撮った尾根遠望。先程の遠望の左側、画像中央が行き止まり地点である。
あらためてちゃんと並べるとこんな漢じ?(左画像一番右のお宅と、右画像左のお宅が同一です)
ってかここは、この期に及んで何を造成しているのだろうか?(地形図を見ると大きなお宅があったみたいです)
W2を尾根線からはずしてしまったお詫びに、中里神社にお参りしていこう。(何のお詫びだよ)
この近傍は今まで何度も通っていて、神社の名前も目にはしていたが、今日やっとお参りすることができた。
中里神社、ここはなぜか狛犬さんがいない。
神様だが、倉稲魂命=宇賀御魂命 はざっくり言って「お稲荷さん」なのだそうだ。だから谷の名前も「稲荷ヶ谷」。
伊勢大御神の方は、検索をかけると相馬市の神社が出てくるのだが、まあ名前的にだいたい天照大神なのだろう。「だいたい」とか失礼かもしれないが、向こうは神様である。細かいことは気になさらないだろう。
不信心者の私は、失礼極まりない適当な参拝の後、階段を下る。
まっすぐに下れば平坂だが、左側(北側)の尾根方向に曲がってみる。
「横須賀の町名1989」を見て後でわかったことだが、この南北方向の道路は、旧々中里村と旧々深田村の境界だったようである。
そして上の写真右画像、ゆるい上り坂の正面奥に見える集合住宅の辺りが、先程ダメ元で上った「だから何だよ」の階段の尾根の続き、同時に若松町・上町境界、旧横須賀町・豊島町境界でもある。
こちらでちらっと述べているのだが、「旧」だの「旧々」だの言われても,「わけがわからん!」「けしからん!」「この反日売国め!」とかおっしゃる方もいらっしゃるかと思うので、ここらでこの平坂付近の地名町村名の推移をざっと整理しておこう。
- 江戸時代ぐらいまで「自然村」
- 横須賀村、中里村、深田村、佐野村、不入斗村、公郷村、etc
- 1865 横須賀製鉄所、建設開始(pdf)。横須賀村が「都市開発」される。
- 1871 大区小区制。めんどくさいので略。
- 1876 横須賀町発足
- 町内に字レベルの以下の各町。汐入町、汐留町、谷町、諏訪町、山王町、大滝町、若松町etc.(それぞれ頭に「横須賀」を付けて呼称する。例:横須賀汐入町)
- 1878 郡区町村編制法。江戸時代の町村がほぼ復活。
- 横須賀町、中里村、深田村、佐野村、不入斗村、公郷村etc.(ここでは「旧々町村」とする)
- 1889 町村制。各地でいわゆる「明治大合併」が行われた。
- 横須賀町+逸見村 → 横須賀町、中里村+深田村+佐野村+不入斗村+公郷村 → 豊島村(ここでは「旧町村」とする)
- 1903 豊島村 → 豊島町(町制施行)
- 1906 横須賀町+豊島町 → 横須賀町(編入合併)
- 1907 横須賀町 → 横須賀市(市制施行)
- 1933-1943 横須賀市が周辺の町村を編入合併。現在の市域+逗子市になる。
- 1947 地方自治法
- 1949-1956 横須賀市・町界町名地番整理
- 若松町、緑ヶ丘、大滝町、汐入町、深田台、佐野町、上町、田戸台、公郷町、不入斗町etc.
- 1950 逗子市分離。現在の市域になる。
以上、リンクした各サイトと、文献、一連の「横須賀市史」を参考にさせていただいた。
ここでも一応申し上げておくが、これら地名町村名、そしてその村界町界に関しては、あくまでも尾根探索の一つのヒントとして扱っているにすぎず、その歴史だの経緯だの遷移だのを詳細に扱うのはこのサイトの趣旨ではない。それらに関してご興味のある方は、上記リンクしたような然るべきサイト、あるいは諸文献、例えば最低3種類出ている「横須賀市史」等々を各自ご参照いただきたい。
現在、両村の後身(?)であろう上町と深田台の境界は先述した旧々中里村と旧々深田村の境界であるこの道ではなく、東側に平行する平坂になっている。
今歩いているこちらの道は、一見平坂の旧道のように見えるが、この先、現在の横須賀中央駅の方まで下っていたかどうかは定かではない。
若松町・上町境界の手前で平坂に下りる階段。ここが尾根探索のイベントとしての、ドドドッキンな次のクライマックスである。(?)
ほぼ正面に見えるのが、中央水族館という名の熱帯魚屋さん、その背後の山が尾根の続き、つまりこの階段から先、熱帯魚屋さんの敷地まで、切り通し、掘削したのではないか、ということでご納得いただけるだろうか?
ここがクライマックス的には、あなたの正体、みちゃったぞ〜♪、なのである。(はい?)
ここがクライマックス的には、あなたの正体、みちゃったぞ〜♪、なのである。(はい?)
尾根線を平坂の方から見てみる。田戸台へ行ったとき(2018.4.8)、西口からとっとこ坂を上ったときの画像である。
右側に見える水色のフェンスのある階段が現在見下ろしている階段、そして一番左、速度標識の後ろの薄茶色の建物が中央水族館である。
右側に見える水色のフェンスのある階段が現在見下ろしている階段、そして一番左、速度標識の後ろの薄茶色の建物が中央水族館である。
その間を尾根線が走っていたと想像する。高度なデジタル技術(笑)で再現してみよう。
わ、何これひどい(笑)(笑)(笑)
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