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観音崎尾根 第2回 坂本町〜上町 その5 中里通り [三浦支尾根プロジェクト]


今回記事のラストは、図書館方向(緒明山尾根)へ道を逸れる前、はまゆう公園の崖上、「一段高い」系尾根道の先の話である。

その前に、おまけには載せなかったが帰り際の上町1丁目交番交差点聖徳寺坂方向の浦賀道の入り口脇に立っている地図をご覧いただこう。ハロウィーン画像はこのすぐ右、ちょっと写ってます(笑))

IMG_7082.JPG

私はこの地図である啓示を受けたのであった。(はい?)

郵便局が手紙のマークになっていたりする、なかなかオシャレな地図である。逓信省のテだと何だかわからない外人さんへの配慮だろうか?(日本人でも今は逓信省言われてもわからない)

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いや、逓信省や前島密は今はどうでも良い。

この地図には、はまゆう公園崖上から図書館方面への道は描かれているが、図書館分岐から先に直進した中里通りの階段への道おまけで逆走しました)ががない。そのかわり良く見ると、ほぼ同じラインに「点線」が描かれている。これは何だ?切り取り線か?(切り取ってどうする?)

IMG_7082_.JPG

もしかして尾根線だろうか?
いやいやいやいやいやいやいやいや、地図に尾根線を引くような変態は、この世で我々尾根変態ぐらいのものであろう(笑)。横須賀の案内地図の製作者が尾根変態とは思えない。
いやだが、港と山と坂しかない横須賀のことだ(酷い言いようだな)、もしかしたら変態かもしれない(違います!)

まあ普通に考えて、これは町界(市内の町区分)のラインであろう。ってか凡例に「町界」ってかいてあるじゃねーかよ!(なめこさん、言葉遣いが乱暴です)

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このときはどことどこの町界かあまり深くは考えなかったが、その区域にかぎって調べれば、ラインの上側(東側)が上町(1丁目、4丁目)、下側(西側)が汐入町(3丁目)である。

IMG_7082_4.jpg

因みにこれは、1906年に合併する前の豊島町(上町)、横須賀町(汐入町)の境界であったのではないか、とも思うのだが、今ひとつ確実な裏が取れない。。。

以下加筆・改稿しました(2018.6.13)
としていたところ、ある文献でだいたい裏が取れた。
  • 「横須賀の町名1989」(横須賀市都市整備部都市整備課/編)
ここのpdf(横須賀市内地名考察)みたいに町名の由来でも書いてあるのかなと思って(このときは緑ヶ丘の由来を調べようとしていました)中を覗いてみたら、こ、これは。。。。
旧々町村(1878年郡区町村編制法による町村 ※1)、旧町村(1889年施行の町村制 ※2)、現在の市内の区画としての町(戦後に実施された町界町名地番整理によるもの)の名称と区画が、地図に対照できるように描かれている。これはすごいぞ。よだれが出るほどにおいしい♪(はい?)
その一部については次回でちょっとだけ検討することにして、今記事に関することで言えば、ざっとみたところ旧町村同士の境界のラインは、内部は細かく現在の町丁に分解されているとはいえ、基本保持されているようである。ただし、市内に点在した旧々町村から継承された「飛び地」(戦後町界町名地番整理で消滅した)周辺は別、それと旧々町村界については、道路や町割りなどにより比較的柔軟に境界を移動させていたりする。(※3

※1紆余曲折あったが、基本江戸時代の村の区画が踏襲されている。これらの町村をここでは「旧々町村」とする。

※2「旧々町村」の合併等で発足した町村制。それまでの「旧々町村」は半自動的に「大字」となった。
その後に「なんたらの大合併」みたいなブームが数回あったりもしたが、概ね現在の区市町村に直接継承している区割りである。現横須賀市に吸収合併される前のこれらの各町村を、ここでは「旧町村」とする。
以上、町村制等の経緯については、現在のところこのブログの趣旨ではないので詳説しない。ご興味のある方はWikipediaでも概要を理解することは可能なのでご参照されたし。

※3例えば平坂の道路上の現在の上町と深田台の境界は、元々の旧々中里村・深田村境界が平坂の存在により引き直されたものと考えることができる。それについても次回で少しだけ触れる。

ここでは詳しくは論じないが、国境から県界、市町村界、字界をすべて含めて、尾根線=分水界が境界になっているケースは非常に多い。尾根を境界にするのは、水利によるものか、人や物資の往来の都合によるものか、理由はケースバイケースであろうか。
つまり逆に考えれば、ここの場合はまゆう公園崖上から中里通りまで、さらにはその先浦賀道の峠までのこの旧横須賀・豊島町界線は、ほぼ尾根線と考えても良いのではないだろうか。(厳密には尾根線というよりは尾根道によるものですが)

なので、前記事では図書館分岐へのアクセスに逆走したこの町界道をあらためて辿ってみることにしてみよう。
加筆・改稿はここまで(2018.6.13)

そんなわけで、日付は前記事の2016.10.22、中里通りから「一段高い尾根道まで戻ってきた。
ここまでのかなりどうでもいい(笑)経緯をお知りになりたい方はこちら


とりあえずはここを右(町界)へ下らずに直進しよう。

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直進するとこちらも階段、下ったところを左に行ってみたが、違ってそうなので引き返した。(おまけ参照

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直進は行止り。右へ入る道があり、さらに階段を下る。

IMG_7055.JPG IMG_7056.JPG

結局「一段低い」元の道(町界道)に戻ったというわけである。

尾根線に変態的なこだわりが無ければ、「一段高い」人様のお宅の間の路地にわざわざ上らなくても、謎のお父さんが一本取られた(前々記事)地点から、眺望の良い町界道をそのまま直進しても良いだろう。

IMG_7057.JPG IMG_7058.JPG

このときはここを右へ下り、さらに分岐にも行ってみたがいずれもハズレ。(おまけ参照

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ここでは余計なことを考えずに、この町界の道をまっすぐ進めば良かったわけである。

ここから先は、10.22分は中里通りの階段からの逆走画像しかないので、本日10.23分の画像になる。

IMG_7098.JPG IMG_7099.JPG

中里通りへの下り階段。両サイドのお宅の敷地の状況からして、この階段は切り通したものだろう。

IMG_7100.JPG IMG_7102.JPG

向かいに上り階段が見えるところに注目。

当然のことながら、下った先の中里通りも切り通しである。(逆走で上ってくるときはなめこさん、切通されていることは眼中になかったらしい)

IMG_7103.JPG

つまりここが中里通り尾根線との交差地点である。

Sakamoto5-5.png
地理院地図を加工)

10.23の私はこの先、中里通り向かいの階段を上り、浦賀道に合流することになる。
ということで、この続きは第3回で。。。

そして10.22の私は、時間が巻き戻って今下りてきた階段を上り、横須賀迷宮に迷い込むことになり(だから迷宮言うなって)、変な階段を登ったりしてだから変な言うな)へとへとになって帰ることになる。
迷宮に迷い込みたい方はこちら。


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