池上線フリー乗車デー 第5章 池上ふたたび(上) [大田区ネタ]
呑川に合流した。
あとは呑川を池上本門寺までGo!Go!Go!宏美ちゃん!(やめろー)である。
あとは呑川を池上本門寺までGo!Go!Go!宏美ちゃん!(やめろー)である。
こちらも橋巡りをやろうかとも思ったが、呑川は都内でベスト5とまではいかずとも、ベスト10にはギリで入りそうな川だ。どうせどなたかがおやりになっている(マップ、あとこちら)。なのでいっきに池上までワ〜プ!
と行きたいところだが(は?)、その前にこのお隣の橋、
道々橋である。「どうどうばし」または「どどばし」と読む。
洗足池から蒲田行きのバス(森05系統、路線図pdf)に乗ると、例の荏原病院前の尾根を下ってから新幹線をくぐってすく右方向へ向かい呑川を渡る橋である。この超カッコイイ橋名はバス停名にもなっていて、一度このバスに乗ってアナウンスを聴いてしまった人は生涯忘れられないトラウマになるだろう。(トラウマにはならないと思います)
同時に「道々橋」は村名でもある。何やら橋の建設に伴う何らかの闘争でこの付近は独立した村になったそうだ。
同時に「道々橋」は村名でもある。何やら橋の建設に伴う何らかの闘争でこの付近は独立した村になったそうだ。
この道々橋村の事跡を検索していたら、呑川に関して何やらものすごい地元サイトを見つけてしまった
そういえば道々橋のちょっと先でこれが掲示してあり、
掲示されていたページはは全て画像に納めたが、紙媒体主体の情報はネットにならない傾向が多い(その逆も然り)という勝手な思い込みがあったのか、それを検索するという発想がまったくなかった。だが回り回ってこんな形で出会うことになったのである(上記画像のpdf)。
呑川に関して何某かの情報を得るには、まずはこのサイトに当たることが良ろしいのではないかと思う。
ということで、呑川についてはこれ以上私には語ることがない♪。(あ、なめこさん投げた(笑))
呑川に関して何某かの情報を得るには、まずはこのサイトに当たることが良ろしいのではないかと思う。
ということで、呑川についてはこれ以上私には語ることがない♪。(あ、なめこさん投げた(笑))
道々橋と村に関しては、上記サイトこちらのpdf6ページ以降に面白い記事がある。
また洗足流れに合流する上池台支流(鸛の巣流れというそうです)に関する事項や、洗足流れの昔の写真などがあったので、前記事にリンクを追加しておいた。あらためてご参照いただければと思う。
また洗足流れに合流する上池台支流(鸛の巣流れというそうです)に関する事項や、洗足流れの昔の写真などがあったので、前記事にリンクを追加しておいた。あらためてご参照いただければと思う。
そんなわけで一気に第二京浜、池上橋まで飛ぶ。(橋を6個ほどすっ飛ばしました)
第二京浜まで着いたはいいが、渡る手段がない。行かなくちゃ。(←陽水もやめろ)
速度制限60km/hでびゅんびゅん飛ばしてくる車を蹴散らさずに渡るには、右側、なめこさんがつい最近(この記事の日付より後です)鍋用のカセットコンロを買い替えたコジマの前の信号を渡るか、左側、池上二丁目交差点の信号を渡るかである。
速度制限60km/hでびゅんびゅん飛ばしてくる車を蹴散らさずに渡るには、右側、なめこさんがつい最近(この記事の日付より後です)鍋用のカセットコンロを買い替えたコジマの前の信号を渡るか、左側、池上二丁目交差点の信号を渡るかである。
距離的には右の 鍋 コジマの方が近いのだが、 本門寺は川の左側である。ここは左に行くのが良いだろう。
手を上げて横断歩道を渡り、ガードをくぐる。
このガードは「嘘〜、地下鉄が上走ってるなんて信じられな〜い。銀座線?」みたいな都営浅草線である。(西馬込から先の連絡線で営業には使用していません)
大坊本行寺入口の看板がある。位置関係がよくわかっていないが、宝塔とかがある方向だと思うので構わず左に曲がる。
突き当たりが実相寺。
実相寺昭雄が何かのエッセイで、ここともう一つどこだかを知っていると書いていたお寺であったかと思う(うろ覚え。違ってたらすいません)。
こんなサービスもしているらしい。
こんなサービスもしているらしい。
あまり時間もないので、申し訳ないがこちらには寄らずに、右方向大坊本行寺へ向かう。
大坊本行寺、池上さんご夫妻のお住いで、日蓮さんはここでお亡くなりになったそうだ。
本門寺のどちらかと言えば裏手にあたるせいか、いつも閑静なお寺である。時間が時間(16:30頃)でもあるからか数人程度の方しか参拝されていなかったが、それでも普段よりは人が入っている方なのかな。
こちらは上の看板が立っていた、日蓮さんが亡くなられた場所に建てられたという「ご臨終の間」である。
いつもの様に適当に画像撮りまくっているので、このときはどれがどれだかわからなかった。もちろん案内板の説明もよく読まない。(読めよ)
ってかこの境内配置図、特設された何かの影になって読めないし。(多分、こちらの案内図と同じ。)
ってかこの境内配置図、特設された何かの影になって読めないし。(多分、こちらの案内図と同じ。)
静かだが華やいだ感じがあるのは、この3日後に日蓮宗独自のお祭り、お会式があるからだろう。
本堂も綺麗に飾られている。
本堂も綺麗に飾られている。
本堂向かって右側。喉が渇いたので、とりあえず井戸を攻めてみよう。
だめだ、飲めない。。。orz (飲む気かよ)
確かこの奥の裏手に、紀州徳川家とかの古いお墓があったはずだ。
お墓はともかく、この上の土塁っぽいのが城構造の跡ともいわれている。通称「池上氏館」である。
以前そちらにも行っているので、このブログでもとくに評判が悪いといわれている「攻城のススメ☆」ネタにでもしようかな。
以前そちらにも行っているので、このブログでもとくに評判が悪いといわれている「攻城のススメ☆」ネタにでもしようかな。
お稲荷さん、そして御灰骨堂。
三角の宝物殿。これだけ微妙にモダンな建物である。
我々は西側から入ったが、南側のこちらの門から入るのが正解な気がする。ってか野暮な電線(お祭り用だろう)が走っていなければ、とてもきれいな絵柄である。
3年前の大雪の日に撮影した画像がある。サービスに付けておこう。(何のサービスだよ)
門を出て左側が大坊坂。この階段を登れば本門寺である。
第5章(下)へつづく
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