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革命のススメ

どこかの政権は、あっちこっちから火が着いてまさにパニック状態の様である。国辱的にみっともない閣僚や官僚どものズレた感覚、所業、悪行はあまりにも質も量も膨大であるため、ここではそのそれぞれの問題をいちいちあげつらわない。
そして「あんな人たち」以外の「こんな人たち」の社会でも状況は同様である。やれどこだかのスポーツだの(自称「神事」(笑)を含む)、やれどこだかの写真家だの、やれどこだかの芸能事務所だの、人死にが出まくっているRGBすべて0でアルファだけビンビンに1.0の企業だの、一体何をやっているのだ?こいつらは。

現在起きている膨大な問題、トラブル、「あんな人たち」や「こんな人たち」の悪行を、雑だが抽象的に整理してみる。
  • 責任者、管理者、その他上に立つ者のコンプライアンスやモラル、そして責任感の欠如
  • 既得権を持った連中の私利私欲にまみれた行動、身内に対する利益誘導
  • 思想、国籍、地域、ジェンダーなどによって規定される集団(差別者の妄想も含む)に対する差別、迫害、誹謗、中傷、罵倒
  • 弱者に対する暴力、ハラスメント
  • これらの問題が発生したときの隠蔽体質、危機感の欠如
まだあるかもしれないが、だいたいは以上の項目のいずれかに当てはまるだろう。(いや、後から後から新手の悪行がわき出てくるから網羅しきれていないと思うぞw)
そしてこういうことを行う主体はたいていの場合、何らかの権力を持つもの、あるいは安全圏で高みの見物をするような無責任な自称「愛国心のあふれる善良な国民」どもである。

問題があればすぐに力を振りかざし恫喝して解決を図ろうとする「偉い人たち」、そうならないように忖度(笑)するその「下僕」たち、そしてそのような権力のシステムを暗黙にも明示的にも容認する「愛国心あふれる善良な国民」たち、こうした連中によって成立する「美しい国民性」は、おそらくは近世以降に根付き、さらに近代以降悪化したものであろう。
権力が流動しない、流動しても家族や師匠弟子の様な身内だけで出入りし、せいぜいが腰巾着な何の役にも立たない「外部」しか参入してこない。 「寝食をともにする」「同じ釜の飯を食う」というような吐き気のする気持ちの悪い関係性を美徳とするような連中が小さくまとまって成立する社会、それがその「美しいどこだか」の正体である。
最近になってからこの国はおかしくなったなんぞと呑気なことを言っている輩もいるが、おかしいのは今になって始まったことではないのである。単に今わかりやすくなったのは、「あんな人たち」が落ち目になって、今までだんまりを決め込んでいた(これも忖度とも言う(笑))マスコミが勢いづいて調子をこき始め、それに伴って今までおとなしくしていた愛国心あふれる(以下略)も同様に調子こきはじめたからである。

いや、私を含めた後者の人たちのことはいいのだ。
良い機会である。ここで一つ提唱しよう。

「革命」のススメである。

侵略!侵略!侵略!侵略!侵略!侵略!侵略!侵略!(なんで侵略だよ。革命だろ?)
なるほど、侵略が悪ければ進出!進出(余計悪いわっ!)

前にもどこかに書いたが、一応(笑)このブログは「暴力推進ブログ」ではない。だからここで言う革命とは「暴力革命」ではないのだ。ほら、イギリスだかどこだったかの「名誉革命」みたいの?なんかあんな風なやつ。(世界史知らないものだから急に口調が軽くなったな(笑))
いやそれこそ暴力革命でも起こして、「あんな人たち」が全員お亡くなりにでもなれば、溜飲の下がる人もいるだろう。実際「あんな人たち」のせいで「こんな人たち」に人死にも出ているケースもあるのである。
だが「あんな(汚い)人たち」の汚らしい死骸なんぞは見たくない。断る!
よってここは穏便に行こう。

要するに、今問題を起こしてさんざん人に迷惑をかけている「あんな人たち」や「こんな人たち」の一部が二度と日の当たる場所に出られないような社会、システムを作れば良い、それが「革命」である。もちろんそいつらのメンタリティ、行動規範が変革すれば別だ。だがそれは彼ら自身が自分に行うべき「革命」である。我々の知ったことではない。

単に権力構造、政治や社会のシステムを変えるということではない。今まで大切に、大事に守ってきた価値観、いやはっきり言おう、この凶悪かつ劣悪な、古臭い、みっともない、恥ずかしい、いわゆる開国してからの「美しいどこだか」の国が自分たちの大したこともないろくでもないみみっちいアイデンティを保持するために、他者や身内の弱者を貶めてまでも確立し、腐らせてきた価値観なんぞはもうどうでもいい、いい加減変えてしまおう、それが「革命」である。まあ普通に「意識改革」ということかもしれないが、「革命」と名乗った方がかっこいいじゃん。(笑)

方法は問わない。だが非合法なことはなるべく避けたほうが良いだろう。色々な意味で後でしっぺ返しがくるからだ。
あるいはデモでも良いだろう。デモは非合法だとか、何か根本的に勘違いしているオツムの弱い軽輩がいるようだが、言っておくがあれは合法、民主主義の基本中の基本の「運動」である。むしろ犬みたいな警察官をぞろぞろ並べてデモ民に暴力ふるう方が非合法、国際的にものすごくみっともない恥ずかしい行為なんだぞ。よく覚えておけ。

まあ無理にデモに出張らなくても良い。具体的な行動が取れない人や、ちょっと遠慮してしまうような人でも、問題意識があれば何か小さなことからでも始めれば良いのだ。
例えばこんなやり方、そしてそれに参加するやり方もある。
「そんなものぐらいで世の中なんか変わらないよばーか」とか安全圏でしたり顔でほざいているような「ばかといった方がばーか」的な奴らのことなんかはどうでも良い。お前らは自分らの恥ずかしいせま〜いコミュニティで小さくまとまって一生世の中に出てくるな。引きこもって他のやる気になっている「こんな人たち」に迷惑をかけるな!

ここでまたくだらないことを書く。
よく「昭和の風景」だの「昭和歌謡」だの「昭和の時代は良かった」だの何かと言えば「昭和」という意味不明な時代区分で文化を語る人たちがいる。「平成」と区別したい気持ちはわからないでもないが、たかだか天皇の在位期間に基づいているにすぎない「元号」で時代を語るのはきわめて笑止である。明らかに先の戦争を境に政治も社会も文化も全く違うのに「昭和」一括りで語るのは阿呆としか言いようがない。じゃあ、明治と大正はどう違うのかとか、大正から昭和で何が変わったのか、そういう阿呆どもは絶対答えられない。天皇に依存して時代を語りたいのであれば、あんたら例えば大正天皇の「お顔」を知っているのか?(笑)。

だがそんな阿呆共にも朗報である。
来年今上天皇が譲位するこの今「革命」を起こせば、何と改元も一緒についてくる、まさにお得、タイムリーである。ここは是非今この機会に「革命」すべきであろう。そうすれば「革命」後の時代を立派に堂々と「◯◯(未定の元号)の時代」と語ることができるのである。
怒る人がいるだろうからはっきりとは書かないが、どこかのバカと反りが合わないと巷の一部で言われているどこかのどなたかも、実はひっそりとご自分の「革命」を起こしていたのかもしれない、と思う今日このごろである。

この、壁に向かって書いているような文章を書いているリアルタイムに、何世だかよくわからないこっ恥ずかしい世襲セクハラ擁護大臣が、出てこないだろうとタカをくくっていたセクハラ被害者が出てきたようだ。色々これからご苦労もあるかと思うが、渋々出してきたマスコミ会社も含めて、偉そうで申し訳ないがこれも「革命」に寄与する行動と評価して良いだろう。

「こんな人たち」にとって風は順風だ。
今、まさに「革命」のときである。
革命!革命!革命!革命!(だからイカ娘やめろー!)

革命に参加される諸君。
無理は言わない。時代を実感するだけでも良いのである。
だから風に逆らうな。これ以上立ち止まって苦しむのはやめれ。
と、最後に言っておく。

え?私?
呪いと怨念が塗り込まれ、ルサンチマンに満ち満ちた毒のあるこの文章を今書いた。
(誤字脱字や言葉足らずだらけなので、この記事は以後刻々と変化する予定です(笑)。どこだかの政府の態度と一緒だな)

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