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音楽の話 その3 [楽しい音楽の話]

3.社会情勢の変化
さっきから貴族さんだの一般庶民だの言っているが、歴史的に目立たなかった一般庶民(いわゆる市民階級)が主流になるのは、近世ヨーロッパで言えば当然のことなのかもしれないが市民革命の前後、英国のピューリタン革命はちょっと早いが(速攻で復古しちゃったし)、その後の名誉革命→米独立戦争→フランス革命の流れによるものであろうか。これはいい具合に「クラシック音楽」の時代の始まりの時期に重なる。革命との関わりであれば、少し後になるがベートーベンが革命後のナポレオンにラブラブになったのは良いが(いやそういう話じゃなくて)その後皇帝になったらブチ切れ激怒したという話もある。
そして19世紀から20世紀にはいり、大衆社会大衆文化が産まれる。いわゆる「マスメディア」「マスコミュニケーション」の時代である。どちらかと言えば否定的に語られるこれらの社会、文化が音楽の発展に関しては良かったのか悪かったのか微妙だが、すくなくとも世界中の音楽が普く世界中の人々に発信できる環境が整ったことに関しては良かった方に入る部類なのかもしれない。一方で音楽が商業化、産業化され陳腐化されただとか、また一方で欧米などのメインストリーム以外の音楽(これは次項にも関わる)が取り入れられたりしてむしろ多様化されただとか、色々考え方はあるだろう。だが適当なまとめになってしまうが、これが現在。今のの20世紀以降の音楽である。

4.国際情勢の変化
東ローマ帝国を占領し、全欧に衝撃を与えたオスマン帝国(今のタイミングで問題となっているトルコ共和国は1923年にここから革命で成立しているいるので、オスマンは現トルコの一つ前の政体と言える)だが、その後、ヨーロッパとの戦争で敗北を喫し、何となくこの宗教も違う両者は和平ムードになってしまった。チューリップ時代、などというものもある。オスマンの軍楽隊がフレンドリに来欧したりして、もはや敵ではないトルコ(オスマン)は音楽家たちにとってはすっかり憧れの異国になってしまった。そして生まれたのが数々の「トルコ行進曲」であり、現在のブラスバンドの元ネタはこの軍楽隊の編成だということである。
確か「ららら♪クラシック」で言っていたかと思うが、トルコの行進曲のリズムの基本形は単純な1、2、1、2、ではなく、

ドン (休み) ドン (休み) ドン ドン ドン (休み)

となっているのだそうだ。上記を2泊づつ4小節として3小節目が密になるところがミソである。
この譜割が当時ヨーロッパでもトレンド、ブームになったらしく、モーツアルトやベートーベンの「トルコ行進曲」はまさにこのリズムに沿っている。ベートーベンは「第九」の4楽章の一部でも使っているし、シューベルトの「軍隊行進曲」もこれだろう。因に水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」もよく聴くとこのリズムが暗黙に聴こえてくる。米山正夫がトルコの軍楽隊から影響を受けたかどうかはしらないが、行進曲の中に潜むトルコのDNAがはからずも日本の歌謡曲の中にも発現してしまっているということなのであろうか。
これは、バリバリのヨーロッパ西洋音楽が異国の音楽を取り込んだ興味深い例の一つである。だがその後、申すべくもないことだが20世紀に入る前後に、西洋音楽としては劇的なある異国音楽の流入が起きることになった。アフリカの黒人の皆さんの音楽、すなわちジャズである。20世紀後半には、ここから派生したいくつかのジャンルの音楽が完全にメインストリームとなり、音楽界を席巻する。黒人は昔から、そして今でさえ一部の自称文明国家内での迫害の対象になっていたりするが、少なくとも音楽というジャンルの文化ではとっくに世界征服を果たしていたのである。それも平和的に。
ジャズの編成をベースとした少人数でも可能な楽器編成が主流となり、18世紀以降一世風靡した大人数オーケストラによる音楽はちょっと脇に寄せられ伴奏やBGM的な扱いが多くなる。当然そこには電気楽器の存在や、一連の放送、記録メディア、聴衆層(マーケティング)の問題も絡むのだろうが、これもいちいち語るだけ野暮だろうから省略する。
ジャズなどの黒人音楽の他にも、大航海時代以後、貿易目的だけではない文化の交流が世界中で盛んになり、さらには放送メディアなどによって、ヨーロッパ視点で見た場合の諸外国の音楽が容易に流入、また逆に流出するようになった。ヨーロッパから遠く離れた日本もそうだろう。日本の音楽が、前に述べた演歌のようなものを含めて総洋楽かぶれになっていることは説明するまでもない。あっちはあっちで、日本っぽいメロディを取り入れ、歌詞を日本語で歌っちゃうようなアホな日本びいき、あるいは東洋趣味なロックのアーチストさんもたくさんいる。日本人をお嫁さんにしちゃうような20世紀を代表するミュージシャンもいましたな(笑)。
それが現代の「20世紀の音楽」である。

などということ、音楽の科学技術やメディア、それを取り巻く社会や国際情勢による変化を、ハリ・セルダンあたりなら心理歴史学を音楽に応用して今の姿を予測できたかのかどうか、それはわからない。
だが私たちはこれまでの経過を知っている。だから後出しで、ちょっと考えればわかるような話を(いや考えなくてもわかる話を)得意げに延々と長々と語ってみた。

最初の、音楽年代区分を再掲しよう。
  • 〜17世紀初頭:ルネサンス音楽
  • 〜18世紀中頃:バロック音楽
  • 〜20世紀初頭:クラシック音楽
  • 20世紀以降:20世紀の音楽(?)
そう、お気づきになるかと思うが、この周期がもし仮に正確であるのならば、次の変化は21世紀中頃、つまりそう遠い未来ではない。
2050年として、あと30年ちょっとである。間近である。もうその兆しは現れているのかもしれない。

そのとき、その変化が顕著に認められるときまで、私は色々な意味で生きているかどうかわからない。現在の平均寿命、平均余命から考えておそらく生きているのだろうが、それは2016年時点のことである。この先どう変わるかわからない。

音楽そのものの変化としてどういうものが考えられるのか、ヒップホップだのサンプリングだの初音さんだの、あるいはメディアとしてのネットワークだの色々想像してみた。でもこれらは「20世紀の音楽」ですべて語れてしまうような気がする。どれも20世紀の音楽の時代に既にある程度完成しているからである。半可通の私には、今音楽にどんな潮流がおきているのかは見当もつかない。
いずれにせよ、「次の音楽」はもっと想像を絶するようなものの予感がする。

正直、私はその「次の音楽」を聴くのがものすごく怖い。できれば聴かないでおきたい気もする。

音楽の変化は、その内的な変化の他に、
  1. 科学、技術の変化
  2. メディアの変化
  3. 社会情勢の変化
  4. 国際情勢の変化
などの要素が影響すると書いた。音楽に影響する前にこれらにどのような変化が出来するのか。

今、西洋音楽は西洋だけの物ではない。
そして日本の音楽は既に西洋音楽に取り込まれている。

願わくば「次の音楽」が、世界中が幸いになるものであってほしいものである。


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