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基地ノ外 [くだらないこと]

相模原市緑区の津久井という領域は、かつては津久井郡、それ以前は津久井県と謎のように呼ばれる地域であった。そしてその地名の元ネタは三浦であるという説がある。津久井浜あたりに住んでいた「つくい」さんがこちらに引っ越してくて「つくい」城を造ったという伝承があるらしい
だからというわけではないのだが、今回の事件は見過ごしに出来ない。
容疑者が「障害者不要」だの「障害者死ね」的なヘイトクライム的な思想を持っていたことが仮に真実であるならば(こう書くのは例によってWikipediaで変な暗闘が行われているからである)、日頃ネットや千代田区方面で福祉予算を減らせだの生活保護をやめろだの、あるいは一部の外国人を日本から追い出せとか言っている連中と同一の根を持っていることになる。前にも述べた単細胞生物、例えれば思考回路が電池と豆電球だけでできているような輩である。だが仮にその連中に何らかの影響を受けたのだとしても、彼ら彼女らに直接的な責任は無いだろう。いずれ何らかの、自分に返ってくる報いを受けることもあるかもしれないが。
一番最悪なのは、思考回路が電池&豆電球なお仲間ではなく、電球すらつけていないその他大勢の連中である。マスコミお得意の人数の問題で語る事件の「衝撃的」な報道で、一時的に電球1個ぽちっと付けてみるがそれで終了である。
一方で、発信側が「事件の衝撃性がない」と勝手に評価し、あまり報道されなかった由々しき事態が起きている。沖縄県の問題である。大手マスコミを含み、ほとんど誰も電球を点灯しようとしない。電池&豆電球のお仲間もさぞやよけいな電力を使わずに済んでお気楽なことだろう。

沖縄県では基地問題をめぐって、機動隊員が居並ぶ前で警察の車が人をはねたりその機動隊員らは警備の名の下に殺人未遂を行ったり、違憲与党に支配される国家権力がやりたい放題なようである。人死にが出ないようにうまくやっているおかげか、このようなある意味特殊なジャーナリズムを除いてほとんどのマスコミがこの権力による暴力行為、人権侵害を大々的には取り上げてはいない。
「特殊な」と表現したが別に他意はない。他にこの手の事件のことを取り上げているところがあまり無いからである。このサイトの人の名前でGoogleで検索かけると、今ではそうでも無いようだが一時期「左翼」という補助ワードが単独で勝手に出てきていた。Googleさんもご丁寧なことである。おそらくは上記の豆電球のお仲間さんたちがレッテル貼りをして検索かけていたせいだと思うが、一言言っておくが、この程度で「左翼」とは片腹痛い。どんだけ世界観が右にねじ曲がっているのだか。右回りで一周して将来変なことするなよ。
沖縄の基地問題にマスコミや一般の「善良な国民」があまり興味を示さないのは、マスコミに関してはどこぞの圧力というものもあるかもしれないが、それ以前に大多数の国民にとって沖縄や米軍基地が縁遠いことであるということもあるかもしれない。子供の頃、沖縄や基地周辺ほどではないと思うが数十km離れた基地の頻繁に発生する飛行機の爆音が普通に「うるさい」と思ったり、米軍住宅地のせいで尾根探索ができないじゃないじゃないかとぶーぶー文句言うような尾根変態でもないかぎり、興味を持ち得ないことなのか。そのくせ基地の無い地域や府県に基地移転という話が出ると、途端に移転先の住人がヒステリックな反応をしたりする。原発問題と同じ。なんだかなー。

ご存知かもしれないが、都内にも神奈川県にもいくつか米軍基地がある。
基地だかなんだかよくわからないものや、使ってんだか使ってないんだかわからないものもあるが、都や県が基地だというのだからそうなんだろう。要はアメリカさんが、大なり小なり権利、権力をふりかざせる領域、土地、施設ということである。
本土から何万キロも離れた土地を占領し続けることには金銭的にも物理的にもものすごいエネルギーが必要である、通信技術その他のテクノロジーの発達により、遠隔地を物理的にキープする必要がだんだん無くなりつつあるのか、基地は一時期よりもだいぶ返還されてきた。
先ほどの、私がうるさいと思った爆音基地は厚木だが、同様に私の子供の頃のトラウマ(←謎)になっている上瀬谷は返ってくるようだし(おかげで環状4号が開通し旧16号の渋滞が解消された(笑))、池子なども資料館を含む公園部分は限定的に開放されるようになった。(ってか尾根部分早く返せよっ!)
だが、どうしても沖縄という土地は手放せないらしい。ていうか上記のように、どこかの違憲与党による権力が率先してそれに協力しているわけなんだが。(議席失ったことによる報復だ、などという人もいる。子供かよ)

さて、ここでなめこさんの出番である。
なめこは主張する。
国防上必要なものだから国境に近い沖縄は我慢「すべき」とか、そんなことよりも重要なのはなんとかミクスによる景気高揚策だとか、文句があるなら「対案を出せ」とか言ってる電池&豆電球のあなた、いやお前!貴様!
あんたんちの隣にすぐにでも墜ちそうなへんちくりんのヘリがびゅんびゅん飛んでくるような米軍基地を招致して、ガンガン騒音フリーにしてやるからな!私が都知事になった暁には。覚えとけ!

って、あ。都知事に立候補するの忘れた。


(注)本当にそれやりかねない候補者もいるようなのでくれぐれも投票時にはご注意ください。。。



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鎌倉散策!? [かまくら]

仕事(笑)で鎌倉まで行ってきた。
仕事(笑)と言っても、自宅警備的な開発の仕事の宣材用の取材なので(意味不明)、経費は自腹である。なので例によって交通費削減のため京急さんで行くことにした。

鎌倉へ行くのに京急で、しかも八景で降りるのは私ぐらいなものであろう。環状4号(六浦道)から朝比奈切通を抜けて鎌倉に入ろうという寸法である。

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仕事(笑)とは別に鎌倉で行きたいところが2カ所あるのだが、とりあえずそれは置いておいておく。仕事(笑)とは、スマートフォンのGPS付き画像データを収集すること、ビジュアルも必要なのでその収集データのコンセプトとしては「鎌倉散策」とする。つまるところ、鎌倉の名所を巡り、いわゆる定番スポットや途中で目についたものを撮影している人をモデルとして撮影のデータを取るというものである。まあ仕事にかこつけた鎌倉観光でもあることも確かだが。

早速こんなものを撮ってみる。

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、、、いや、ここまだ鎌倉じゃないし。
だがここは武相国境だから良いだろう。
いやそもそも現代人は鎌倉へ武蔵国金沢から歩かないし。。。

まあいざとなれば消去すればよいだろう。(鼻欠地蔵さんカワイソス。。。)
 
だがここまで歩いてきて問題が生じた。
暑いのである。暑いのだ。
実に無謀であった。夏の日差しをなめていた。夏の炎天下の舗装道路(環状4号線)を延々と歩くことがどれほど無謀であるか、1年で忘れていた。(えっ?)
私はこの時点で今回の企画を早くも後悔していた。

それでも朝比奈の山に入れば涼しい。

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うん、「鎌倉を散策する人」っぽくなってきたぞ。(どこが)

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朝比奈切通、ピークを越えた鎌倉市側では道が川になっている。水をよけて歩くのは面倒だ。炎天下を歩き、市境までの上り坂を登ってきた身にはつらい。

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街中に出てそのまま六浦道(県道204号)を歩く。

入手したいもの(観音様巡りの道路地図です)があるので杉本寺による。
登り階段がきつい。(注:この階段は登れません)

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暑さにへばっているとむしろ疲労でへばっていることに気づかなくなっていたりする。この時点で相当疲労がたまっていたはずだ。かくも六浦道は長い。
浄妙寺も鎌倉宮もスルー。川の向こうもスルー。釈迦堂もスルー(SUPER BELL"Zの京急のやつみたいだ)。この体力では無理だー。

八幡宮にたどりついた(疲)。
すくすくと育っている銀杏。公暁さんが身を潜められるまであと何年ぐらいかかるのだろうか。

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ここから眺める若宮大路の直線が良いのだと男性が連れの女性にドヤ顔で語っていた。なので私もドヤ顔で撮ってみる。

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次の目標は大仏のつもりであった。
巨福呂路に降りる。鉄の井を右に進み、踏切を渡る。

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長谷までの近道がわからないのだが、さすがに山を登るわけにはいかないので、そのまま線路に沿って歩く。
近道っぽい裏道に入ったらひょんなところにこれを見つけた。場所がよくわからなかったが一度見てみたいと思っていた古我邸である。

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市役所の通りに出てトンネルを2つくぐり、長谷大谷戸を左に曲がる。この直線道路をまっすぐ歩けば大仏の「あたり」に出る。私のこの「あたり」がくせ者である。

外国の女性(東南アジアかインド方面の方だろうか?人種の区別は私にはわからない)に"Big Buddha"の場所を聞かれた。「こっちの方向だと思います」と答える。「あたり」だとか「方向だと思います」だとか実に曖昧きわまりない。これだから尾根サーチャー(笑)は困るのである。目標をベクトルでしか判断できない。道案内には役に立たない。街中で道を聞かれても、方向はわかるのだが道筋を説明できない。
しかもこの場合、"Big Buddha"はまさに自分が向かっているところである。「こっちの方向だと思います」はないだろう(笑)。
高徳院へ行くには大谷戸の通りから県道に出て、戻る方に曲がる。外国人女性は無事目的地("Big Buddha")に向かえたようだが、私は決まりが悪いのと、拝観料払って入場するのが億劫になっているのと、暑いしもーめんどくさいのとで、そのまま最終目的地に向かうことにした。もはや全然仕事(笑)になっていない。

最終目的地とは「御霊神社」である。例の鎌倉権五郎さんの祭られている神社である。

以前身内が亡くなったとき、とくに何と言う理由もないのだが、鎌倉のお寺を何週かかけていくつか回ったことがある。だからその時点で鎌倉の著名なお寺はほぼクリアしている。だがそのときはさすがに忌の観念のある神社は遠慮した。鳥居もくぐらないようにした。このルール、八幡宮も入れないし、若宮大路を横断するのもなかなか難しいので、鎌倉を行き来するのにはなかなか不便である。
当然御霊神社にも行っていない。子供が遠足で行くような場所でもないので、私は御霊神社にはまだ一度も参拝したことがないのである。だがこのブログでは何度か権五郎さんをネタにさせていただいているので、一度お参りに行こうと思っていた。

長谷寺の方に抜け道があると思っていたのだが、どうやら道が違うようだ。せっかくなので門の写真だけ撮る。

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長谷寺の入り口のもう少し先を右に曲がる。何度か角を曲がるが御霊神社の参道である。

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御霊神社に着いたようである。

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勇猛な権五郎さんにしてはこじんまりとしてかわいい神社である。(まあでも逆に豪勢なのも変か。。。)

弓立の松と、夫婦銀杏。

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「弓立の松」とは説明書きによると、開発領主としての鎌倉権五郎さんが領地を見回る際、弓を立てかけたものなのだそうだ。まあ今で言えば傘立てみていなものだろうか。重そうだ。って、え?これ見回りで携帯したの?お付の家来も大変である。

袂石、手玉石、それとずらりと並んだ庚申塔。

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袂石(十六貫=60kg)と手玉石(二十八貫=105kg)は、権五郎さんが手玉に取り、袂(たもと)に入れていた石だそうである。さすがは権五郎さん、力持ちである。弓立ても自分で運んだに違いない。

他に、ミニ神社(子神社?)がいっぱいあり、立派な御神輿などもあったが、写真写りが悪いので載せない。

正面の鳥居の前は江の電である。

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日傘をさした女性が写り込んでいるが風情がいいのでそのままにした。(まあ個人特定はできないだろう)

踏切を渡って振り返ると正面に鳥居がある(そりゃそうだ)。

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ということで、念願の(?)御霊神社には行けたのだが、肝心の鎌倉散策撮影データの方は、鼻欠地蔵と朝比奈切通と杉本寺と八幡宮と長谷寺の門だけと御霊神社という、マニアックなのか変な人なのかよくわからないものになってしまった。
ということで取材(データ取得)は基本的にボツ!
交通費、経費で通るかな?

全身が疲労の固まりなので、長谷駅から江の電に乗ることにした。

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鎌倉方面は混んでいるようなので、江の島周りで小田急で帰ることにした。
経費で通るかな?(笑)

撮影データは後日、家から程近い勝と西郷で有名な池をぐるんと回って収集した。

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音楽の話 その3 [楽しい音楽の話]

3.社会情勢の変化
さっきから貴族さんだの一般庶民だの言っているが、歴史的に目立たなかった一般庶民(いわゆる市民階級)が主流になるのは、近世ヨーロッパで言えば当然のことなのかもしれないが市民革命の前後、英国のピューリタン革命はちょっと早いが(速攻で復古しちゃったし)、その後の名誉革命→米独立戦争→フランス革命の流れによるものであろうか。これはいい具合に「クラシック音楽」の時代の始まりの時期に重なる。革命との関わりであれば、少し後になるがベートーベンが革命後のナポレオンにラブラブになったのは良いが(いやそういう話じゃなくて)その後皇帝になったらブチ切れ激怒したという話もある。
そして19世紀から20世紀にはいり、大衆社会大衆文化が産まれる。いわゆる「マスメディア」「マスコミュニケーション」の時代である。どちらかと言えば否定的に語られるこれらの社会、文化が音楽の発展に関しては良かったのか悪かったのか微妙だが、すくなくとも世界中の音楽が普く世界中の人々に発信できる環境が整ったことに関しては良かった方に入る部類なのかもしれない。一方で音楽が商業化、産業化され陳腐化されただとか、また一方で欧米などのメインストリーム以外の音楽(これは次項にも関わる)が取り入れられたりしてむしろ多様化されただとか、色々考え方はあるだろう。だが適当なまとめになってしまうが、これが現在。今のの20世紀以降の音楽である。

4.国際情勢の変化
東ローマ帝国を占領し、全欧に衝撃を与えたオスマン帝国(今のタイミングで問題となっているトルコ共和国は1923年にここから革命で成立しているいるので、オスマンは現トルコの一つ前の政体と言える)だが、その後、ヨーロッパとの戦争で敗北を喫し、何となくこの宗教も違う両者は和平ムードになってしまった。チューリップ時代、などというものもある。オスマンの軍楽隊がフレンドリに来欧したりして、もはや敵ではないトルコ(オスマン)は音楽家たちにとってはすっかり憧れの異国になってしまった。そして生まれたのが数々の「トルコ行進曲」であり、現在のブラスバンドの元ネタはこの軍楽隊の編成だということである。
確か「ららら♪クラシック」で言っていたかと思うが、トルコの行進曲のリズムの基本形は単純な1、2、1、2、ではなく、

ドン (休み) ドン (休み) ドン ドン ドン (休み)

となっているのだそうだ。上記を2泊づつ4小節として3小節目が密になるところがミソである。
この譜割が当時ヨーロッパでもトレンド、ブームになったらしく、モーツアルトやベートーベンの「トルコ行進曲」はまさにこのリズムに沿っている。ベートーベンは「第九」の4楽章の一部でも使っているし、シューベルトの「軍隊行進曲」もこれだろう。因に水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」もよく聴くとこのリズムが暗黙に聴こえてくる。米山正夫がトルコの軍楽隊から影響を受けたかどうかはしらないが、行進曲の中に潜むトルコのDNAがはからずも日本の歌謡曲の中にも発現してしまっているということなのであろうか。
これは、バリバリのヨーロッパ西洋音楽が異国の音楽を取り込んだ興味深い例の一つである。だがその後、申すべくもないことだが20世紀に入る前後に、西洋音楽としては劇的なある異国音楽の流入が起きることになった。アフリカの黒人の皆さんの音楽、すなわちジャズである。20世紀後半には、ここから派生したいくつかのジャンルの音楽が完全にメインストリームとなり、音楽界を席巻する。黒人は昔から、そして今でさえ一部の自称文明国家内での迫害の対象になっていたりするが、少なくとも音楽というジャンルの文化ではとっくに世界征服を果たしていたのである。それも平和的に。
ジャズの編成をベースとした少人数でも可能な楽器編成が主流となり、18世紀以降一世風靡した大人数オーケストラによる音楽はちょっと脇に寄せられ伴奏やBGM的な扱いが多くなる。当然そこには電気楽器の存在や、一連の放送、記録メディア、聴衆層(マーケティング)の問題も絡むのだろうが、これもいちいち語るだけ野暮だろうから省略する。
ジャズなどの黒人音楽の他にも、大航海時代以後、貿易目的だけではない文化の交流が世界中で盛んになり、さらには放送メディアなどによって、ヨーロッパ視点で見た場合の諸外国の音楽が容易に流入、また逆に流出するようになった。ヨーロッパから遠く離れた日本もそうだろう。日本の音楽が、前に述べた演歌のようなものを含めて総洋楽かぶれになっていることは説明するまでもない。あっちはあっちで、日本っぽいメロディを取り入れ、歌詞を日本語で歌っちゃうようなアホな日本びいき、あるいは東洋趣味なロックのアーチストさんもたくさんいる。日本人をお嫁さんにしちゃうような20世紀を代表するミュージシャンもいましたな(笑)。
それが現代の「20世紀の音楽」である。

などということ、音楽の科学技術やメディア、それを取り巻く社会や国際情勢による変化を、ハリ・セルダンあたりなら心理歴史学を音楽に応用して今の姿を予測できたかのかどうか、それはわからない。
だが私たちはこれまでの経過を知っている。だから後出しで、ちょっと考えればわかるような話を(いや考えなくてもわかる話を)得意げに延々と長々と語ってみた。

最初の、音楽年代区分を再掲しよう。
  • 〜17世紀初頭:ルネサンス音楽
  • 〜18世紀中頃:バロック音楽
  • 〜20世紀初頭:クラシック音楽
  • 20世紀以降:20世紀の音楽(?)
そう、お気づきになるかと思うが、この周期がもし仮に正確であるのならば、次の変化は21世紀中頃、つまりそう遠い未来ではない。
2050年として、あと30年ちょっとである。間近である。もうその兆しは現れているのかもしれない。

そのとき、その変化が顕著に認められるときまで、私は色々な意味で生きているかどうかわからない。現在の平均寿命、平均余命から考えておそらく生きているのだろうが、それは2016年時点のことである。この先どう変わるかわからない。

音楽そのものの変化としてどういうものが考えられるのか、ヒップホップだのサンプリングだの初音さんだの、あるいはメディアとしてのネットワークだの色々想像してみた。でもこれらは「20世紀の音楽」ですべて語れてしまうような気がする。どれも20世紀の音楽の時代に既にある程度完成しているからである。半可通の私には、今音楽にどんな潮流がおきているのかは見当もつかない。
いずれにせよ、「次の音楽」はもっと想像を絶するようなものの予感がする。

正直、私はその「次の音楽」を聴くのがものすごく怖い。できれば聴かないでおきたい気もする。

音楽の変化は、その内的な変化の他に、
  1. 科学、技術の変化
  2. メディアの変化
  3. 社会情勢の変化
  4. 国際情勢の変化
などの要素が影響すると書いた。音楽に影響する前にこれらにどのような変化が出来するのか。

今、西洋音楽は西洋だけの物ではない。
そして日本の音楽は既に西洋音楽に取り込まれている。

願わくば「次の音楽」が、世界中が幸いになるものであってほしいものである。


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音楽の話 その2 [楽しい音楽の話]

いまひとつ文章が練れていないが(何を今さらだが(笑))、いいたいことは先にあるので、ぐだぐだの状態で公開する。

音楽の変化、発展、進化には、音楽それ自身(楽曲、演奏家や作曲家、あるいはそれ以外の音楽に直接関わる事象、スタッフ)のそれ以外に、いくつかの外的な要因が考えられる。
思いついたものをリストアップしてみる。
  1. 科学・技術の発展
  2. メディアの変化
  3. 社会情勢の変化
  4. 国際情勢の変化
これらのうちには、内容がダブるものもあるが、すべての事象をすぱすぱと切り分けることはできないかと思うので、そのあたりはご容赦いただきたい。また、それらの点についてはその都度言及する。

各要因に関して私の思うところを書いてみる。

1.科学、技術の発展
これらの要因が音楽に与える影響として、一番直接的でわかりやすいのは楽器の製作技術である。鍵盤楽器の普及により「平均律」が一般化したことはご存知であろう。また、各管楽器が単なる筒から現在の複雑な形状になった結果、音域が広がり、同時に移調にある程度無理が利くようになった(←多分)。他の楽器も同様で、結果いわゆるクラシックのオーケストラが、音色的にも音量的にも豊かになった。作曲家のモチベーションも変化し多様な音楽を生み音楽の変化、発展、進化を促したことは否定できないだろう。楽器単独の話であれば「バロック音楽」や「クラシック音楽」あたりの時代の話である。
20世紀に入る前後では、それらとは別の科学技術、いわゆる電力エネルギーによって楽器や声の音量を増幅したり、音色を変化させたり、さらには音自体を作成することも可能になった。同じく電気を用いて音楽そのものを演奏者から、空間的にも時間的にも離れている聴き手に転送することもできるようになった。最後のことはメディアに関することなので次項で言及する。
楽器製作技術の変化は、音楽そのものの変化に内包される部分もあるかもしれないが、音楽以外の数学、物理学、工学などの進化、発展が楽器製作などを介して音楽そのものに影響を与えている事実は疑いはないだろう。
楽器や電気処理以外にも、科学やら技術やらが音楽に与えた影響は色々あるだろう。つまるところ音楽(他の芸術も)は単に何やらファンシーやリリカルな場で、作曲家の羽根ペンか何かでぽわ〜んとできるようなものではなく(そういうものもあるかもしれないが)、芸術からは一応一歩引いた、裏方さん、技術屋さんの存在、仕事も決して見過ごしてはならない状況下で産まれてくるものであるということをここでは言いたいのである(まあ当たり前のことだけど)
そういえば思い浮かぶエピソードとして、コンサート会場などにでーんと控えるパイプオルガン、音を鳴らすのに電力による送風になる前は、例えばバッハのような人が一人でオルガンを弾こうとすると、裏で何人もの人夫さんたちががポンプで風を送るための力仕事をしていたそうな。当時の労働環境の善し悪しはわからないが、彼らはまごうことなき素晴らしき音楽技術スタッフの一員であったことは確かであるということは言える。

2.メディアの変化
ここで述べる「メディア」とは、作曲家によって造られる、あるいは演奏者によって演奏される音楽を最終的に聴き手に届けるための様々な手段、という風に定義、解釈していただきたい。
例えば、バロック以前の音楽で現在流布されているような曲については、たいていが貴族が自分の豪邸に友人たちを招いて演奏会をするという、極めて限定的な「メディア」の状況が説明される。これにより貴族とそのお友だち以外の庶民の音楽が切り離されている可能性も否定できないが、言い方は悪いが、庶民でも演奏会の「おこぼれ」的なものに預かっている可能性はあるだろうし、貴族が領主でしかも演奏者であれば脅してでも(笑)領民にも聴かせようとすることもあるかもしれない。器用な庶民がいれば、貴族が教育を与え自分のお抱え演奏者にするということもあるだろう。そこは好意的かつ楽観的にとらえて、そんな感じの複合メディアで音楽が貴族のみならず普く当時の音楽が出回っていたのではないかと妄想してみる。もちろん庶民は庶民の音楽もあるが、それが貴族的な音楽と遠くかけ離れたものとは思えない。あ、教会経由とかもあるのかな?そして私の妄想では逆の流れの存在もあるのではないかとも思う。
そして、この時代のもう一つのメディアが、作曲家が発信する紙媒体であるいわゆる「楽譜」である。グーテンベルクの活版印刷により楽譜が初めて印刷されたのが1473年とされているようなので、遅くともバロックの時代には楽譜印刷とそれによる流通は普及していただろうと思う。楽譜を入手して、貴族さんたちが友人や庶民の皆さんに得意げに演奏してみれば、当時のヒットパレード、カウントダウンは成立するのである。歌詞付きのものをみんなで一緒に歌えば歌声喫茶(←例え古い)、あるいはカラオケボックス状態にすることも可能である。
この貴族たちのどちらかと言えば閉鎖的な音楽メディアは、私の妄想ではモーツァルトの時代ぐらいまでは普通だったのかな、と思っていた。だが、随分前に「アマデウス」という映画を観てちょっと驚いた。映画なので誇張もあると思うが、「魔笛」というオペラを場末っぽい会場にかけたら、客のそこらへん(ヨーロッパだが)にいそうな庶民のおばさんやおじさんにバカ受けする(ほんとぴーひゃらどんどん状態である)というシーンがある。後の、耳に障害のあるベートーベンが、観客の大拍手が聞こえなかったというエピソードを聞いていたので、そのあたりかと思っていたのだが、一般庶民を呼び込む「演奏会場」というメディアが一般化するのは(私の想像よりは)意外と早かったようである。(戯曲のシェークスピアなどはエリザベスIの時代=東インド会社=江戸初期=1600年=バロック音楽初期、なので、音楽はおいておいて、演劇の劇場の普及はそれ以前、かなり早かった、ということになるのかな。勉強不足だ。。。西洋音楽に取り込まれていない時代の江戸時代の芝居や、それ以前の能や狂言との違いをメディアの観点いから考察すると面白いかもしれないが、現時点でとても私の手に負えない)
それ以降、近代の放送技術や大量生産コンテンツ、録音媒体、ネットワークなどのメディアの変化の状況に関しては語るまでもないかと思うので省略する。
これら、「メディアの変化」によって、音楽の何が変わるのか。
例えば、豪邸とはいえ貴族の私邸とコンサートホールでは演奏者の人数や会場の規模が異なる。次の項目とも重なるが、メインとなる客層も変化する。つまり演奏者たちの編成やそれによる音量、音質、それに楽曲の嗜好の方向性などが大いに変化する可能性がある。バッハとか技巧的にはかっこいいけど、音の厚みとかはベートーベンの方がいいよなー、みたいなのはそういうことなんだろう(どっちがいいとか言っているわけではない)。
あるいはもっと卑近な例としては、メディアとしての記録媒体がアナログレコードからCDに変化した場合、音楽としての一番大きな変化は、私の考えるところ実際的には音質でもフィットする楽曲の作風でもない。もっと外見的な、音楽トータルの演奏時間、そしてランダムな選曲の可否である、と私は思う。貴族さんの家とかコンサートホールで演奏される音楽が主流だったときは、例えば管弦楽曲のような長い曲は、それぞれの会場において「どれくらいやったら受けて、どれぐらいやったら飽きられるだろうな〜」というような計算を働かせる必要がある。放送媒体の時代になったときのエアプレイする「ヒット曲」に関しても最適な演奏時間(放送で飽きられない時間)というものがあるだろう。「ヒット曲」については、もっと即物的にシングルレコードの収録時間にも影響する。収録時間のリミットがある記録媒体がディストリビュートされる状況になって、演奏時間はその収録時間に縛られるようになった。一方でCDの収録時間はベートーベンの「第九」の演奏時間で決められた、などというコールバックな話もあるから面白い。
レコードの時代は、アルバムは裏表4、50分聴けば音楽は終わる。ビートルズの初期みたいに30分程度で終わるCP感の悪い(笑)物もある。だが、最近のCDアルバムは長い(筆者感)。レコードの時代と比較してものすごく長い(筆者感)。まだあるのかよ、というぐらいに長い(筆者感)。てめーいい加減にしろ!というほど長い(筆者感)。今では90分とか当たり前である。だが大丈夫だ。レコードだろうがCDだろうがMDだろうがHDDだろうが、音楽のコンテナが記録媒体になった時点で、聴くことを途中で他人に気遣わず自分の意志でやめることもできる。まあ別に記録媒体に限らず、放送だったらスイッチ切れば良いし、コンサートだったら途中で帰れば良い。ただしそれらの場合はいずれもやり直しがきかないという短所がある(有線だったら再リクエストできるけど)。また、会場が貴族さんちだったら途中で帰ったりしたら後々気まずくなりそうだが。
逆にいつまでも聴きたければ、デジタルの場合はループさせれば良いし、ジュークボックスのようなメディアをいくつもいれられるようなプレイヤーはあまり普及していないとは思うが、パソコンでiTunesとかに取り込んでしまえばいつまでだって聴いていることができる。これらは音楽の視聴環境の変化ではあるが、このような視聴環境の自由化が、音楽の形式が以前と比較してかなり自由になった、結果として前世紀、今世紀と音楽そのものが変化した要因の一つではないかと思っている。長々と今さら語るまでもなく、ここで定義する「メディア」が音楽に影響する重要性について、ご理解いただけているのではないかと思う。


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音楽の話 その1 [楽しい音楽の話]

以前、坂本龍一の「schora 音楽の学校」という番組で、「西洋音楽」はだいたい150年周期で変化している、というような話題があった。
曰く、私の記憶しているところでは、
  • 〜17世紀初頭:ルネサンス音楽
  • 〜18世紀中頃:バロック音楽
  • 〜20世紀初頭:クラシック音楽
  • 20世紀以降:20世紀の音楽(?)
という区切りであったかと思う。

一般にバロック以降の音楽の流れは、ベートーベン辺りを境目にして「古典派」と「ロマン派」に分かれるという区分があるとされているが、この両者にそれほど大きな差異はないという。だから両者は「クラシック音楽」という区分で統合される。私もこの見解には同意である(形式がどうだとか、標題がどうだとか、和音がどうだとか、確かに前後と比較してたいした違いとなる問題ではないだろう)。一応説明しておくと、古典派とはベートーベンまで、有名どころではハイドン、モーツァルトなど、ロマン派とはシューベルト、シューマン、ブラームス、リスト、ワーグナーなどの、それぞれそれこそ「クラシッック」と言えば誰でも知っている作曲家の時代である。
その前のバロック音楽とは、有名どころで言えばバッハとかヘンデルとか、「四季」で有名なビバルディとか、私には、オルガンやら弦やらがうにゃうにゃうねうねしているよな〜という、クラシックファンからすればまさに激怒されるようなものすごく適当なイメージがあるが、まあなんかそんな時代の音楽である。
バロック以前の音楽はよくわからないが、私の理解としては、例えば戦国ドラマとかで織田信長が外人にリュートだかオルガンだかを弾かせて「おおお、これが異国の調べかっ」などと感動に打震えていたりするのが、時代的に「ルネサンス音楽」なのであろう。
番組では言及されなかったと思うが、ルネサンス音楽を150年遡ると15世紀中頃になる。これは奇しくも中世の終焉(最近は異説もあるようだが)と言われるオスマン帝国による東ローマ帝国滅亡の時期(1454)と重なる。ルネサンス文化はその東ローマから亡命してきた文化人によるものやら、古代ローマ復興が目的だのやら言われているから(このへん、あまり詳しくない)、ここらあたりでまた一区切りあったのかもしれない。それ以前の「中世の音楽」という概念もあるようである。

これらの区分は「西洋音楽」限定ではあるが、幕末から明治以降に「西洋音楽」を受け入れ、いつの間にか純邦楽を脇に寄せてしまっている日本の音楽も、現時点ではこの「西洋音楽」にほぼ取り込まれてしまっていると思ってよい。同様にアメリカ大陸はもちろん、アフリカやアジア、その他の諸国の音楽も、もちろんすべてとは言わないが、既に取り込まれてしまっている部分があると言ってもよいだろう。

ここで一応念のため言っておくが、たとえば邦楽の場合、いわゆる「演歌」というご存知のジャンルがある。これは少なくとも現在流布しているものは明らかに、元号で言えば昭和以降に造られた「西洋音楽」である。民謡も五線譜で歌えるようなものはかなりグレーであると言っていいが、まあ元ネタがあるからあれはあれで日本独自の音楽と見てよいだろう。だがこちらの「演歌」をつかまえて「日本人の精神」だの「日本人のこころのふるさと」だの言っている輩がいるが、実に笑止きわまりない。別に「演歌」そのものを否定しているのではない。
そしてさらに言えば、むしろ「演歌」自体は言うほどには罪深くないが、他にもなにやら近代になって捏造された文化に関して、さも日本太古からの文化であるようにありがたがったり人に啓蒙しようとする輩がいるが、その根性が気に食わない。伝統文化であることを主張して、それを他人に強制する。だがその学術的な背景や歴史的経緯は絶対に述べない。身勝手な捏造だからである。こういう厨房は、いわゆる出典は述べないWikipediaで言うところの典型的な独自研究脳である。
何を言っているかわからない人は別にわからないでも良いが、「日本古来の文化」だの「日本の伝統」だの自らアピールしているものは、まずは一応疑ってかかった方が良い。
もちろん折り紙付きの奈良時代の国宝のなんたらだとか、平安時代のなんたらだとか、そういうのは別である。そしてそれらをどう評価しようがそれはそれで自由であるが。
私としては、西洋音楽としての「演歌」が日本の音楽に与えた影響は計り知れないと思っている。21世紀の現在においても、具体例はあげないが、アイドルの皆さんやバンドさんたちの曲でも「おいおいそれ演歌だろう」みたいな曲は散見される。だから「演歌」そのものは、あまり好きではないけれど否定はしない。好きでもない者が偉そうなことを言って申し訳ないが、「演歌」ファンの方がいらっしゃれば、そういう観点で「演歌」が現在の日本の音楽に果たした功績を改めて見直していただけらば幸いである。

話がそれた。
ここで、以下に述べることはあくまでも私見である。音楽はもとより、世界史に関してかなりいい加減な知識しか持っていないので、書いてあることは正確ではないかもしれない。以下に述べることをどう思われるかはご覧になっている方次第である。
明らかに間違っている事実に関しては指摘していただけるとありがたい。

そして最後には私が勝手に妄想する一つの懸念を表明する。

つづく


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「」 [くだらないこと]

巷では「音楽に政治を持ち込むな」とかほざいている、大変残念なレベルの知性を持つ単細胞生物が生息しているようだ。
色々書いてやろうと思ったが、余所のあっちこっちでボロクソに言われているようなので、私がぷにぷにしゃしゃり出るまでもあるまい。
まあ少しだけ言っておきたいことは、音楽を含む芸術、いやそんな上目線の言い方をしなくてもいい、人間の吐き出すあらゆる表現には常にメッセージ性が含まれていること(何だか二重表現っぽいな)、そしてその中には必然的に人間の放つメッセージとしては極めて明解かつ濃厚である「政治性」をも含むことがある。表現したいことが例えば、好ましいこと、愛すること、守りたいことであって、その対象が英語で言うところの「she」であっても、「children」であっても、「peace」であっても、「nation」であっても、表現としてのメッセージ性にはたいした違いはない。そして、対象や状況や手段を問わず、そこには必然的にある程度の政治性が発生するのである。
 
最近、というかここ何十年か、こういう「単」(単細胞生物に失礼なので以下略す)が増えているのは、実際そうなのか、それとも以前と異なり、「単」が簡単に情報発信できるようになってしまったせいで目立つようになったのか。以前はこういう「単」な連中は恥ずかしくて物をいうこと、すなわちメッセージの発信ができなかった。今は幸いである。
「単」な連中が無知で未熟な言説を世界中に発することができ、みっともない画像を貼付けることもできる。結果、大恥をかいたりも、最悪刑法犯になったりもする(まるでうちのブログだ(笑)。まだ刑法犯にはなってないが)
政治色があろうが無かろうが、メッセージを発する、あるいはメッセージに対してメッセージを返す、それぞれの環境があるのは幸いである。だがあまり調子こいてるといつかツケが来る。そして表現の自由が永遠に続く保障はない。いやそれは既に危険領域に入っているのだ。スポンサー縛りやお食事会で浮かれて既に死に体になっているメディア、業界もあるようだが、ネットも安心できない(どこぞのブログでは「○発」と書いただけで削除されるそうだ。そねっとさんがそんな狭量でないことを祈るのみである)。まあせいぜい用心することである。

「単」の話をいつまでしていてもウザいので、ここでメッセージ性に関してそこそこに極めた音楽の話をしよう。 

John Cageの「4'33" 」という楽曲がある。「物知り百科」的な様々なコンテンツなどでさんざん取り上げられているので、今さら池上なにがしや林なにがし先生などにご登場頂くまでもなく皆さんご存知であろう。
よって私が語るまでもないが一応ざっと説明する。
この曲、一般にはピアノで演奏するとされるが、譜面の指示によれば適当な時間休止、最後まで何も演奏しないのである(4分33秒は初演の時間である)。いや、演奏しないというのは正しくないか。休止も演奏のうちである(ベートーベン「運命」の冒頭の八分休符についてしばしば言及されることをご存知の方もいらっしゃるだろう)。つまり仮にピアノ曲としても、演奏者はピアノでは何も音は鳴らさない。いや、これも正しくない。休止中に観客が聴いた雑音、あるいは演奏者の仕草でさえ楽曲であるのだそうだ。つまりはそういう曲である。音楽である。 
このような、旧来の音楽らしい音の鳴らない楽曲は、他にも本人作の「0'00"」(懲りない人だ)や、John Lennonの「ヌートピア国際賛歌」などがある。John Lennonあたりは簡単に入手できると思うので、興味のある方はぜひ視聴していただきたい(iTunesでも販売されている。だが250円は高いぞ(笑))。

さてここからが本題である。(え〝?)
極めて政治色の強い話になる(は?)ので「単」な方はここでぜひお引き取りいただきたい。

今回の選挙で、名前は出さないが、ある話題になっている政党名がある。投票所で比例の政党リストを見ると、無党派層はうっかり書いてしまいそうな名称である。うまいことを考えたものだ。 
と言うわけで私も、今後自分の政党を作るとき(ねーよ)に備えて名前を考えてみよう。(以下の文章は政権与党や一部の野党を除く特定の政党を貶める目的のものではありません。誤解なきように)

政党を作っても最初は無名である。無名の政党が得票を得るには色々と真田丸レベルに策を練らねばなるまい。
まず思いつくのは、家電で「SOMY」だとか「ビタター」みたいな名前で、よく知らない消費者がうっかり購入してしまうのと同様、他党に似た名前でうっかりおこぼれを貰うという手法だ。
そこで思い浮かぶのは、「白民党」とか「公萌党」とか「民王党」などの党名だ。これならば、線や点をうっかり書き落としたとか、鉛筆の芯がうっかりかすれたとかで、我が党の得票にうっかりなる可能性もあるだろう。 
何?書き落としとかではなく、むしろ画数が増えてるものもあるって?これはうっかりしていた。ならば良い。それも考慮して、いっそ「目本共(以下略)」というのもありだろう。「目本」で始まるところなど、化粧品のコピーのようでおシャレではないか(もとの字が違うような。。。)。小椋佳の歌が聞こえてくるようだ。え?相変わらずたとえが古い?ならばザ・ヴィーナスならばどうだ?何?もはや誰も知らない?
元ネタの政党で、現時点で政党名変更されているもあるだろうって?え?どれ?どれ?(←雑)

どうせ他党名に頼るのであれば、いっそ反対政党の名前を利用して、対決姿勢を明確にするのはどうだろう。
昨今は助詞だの動詞だのも入ったキラキラ政党名もはやりである。「○○党反対」とか「○○党嫌い」とかはどうだろう。わかりやすい。「○○党死ね」なんかもトレンドだ。いっそ「○○党ムカつく!(怒)」みたいなとか「○○党ムカつく!ヽ(`Д´#)ノ」とかでもいいか。カッコ付きとか絵文字とか、認められるのかどうかよくわからないが。 
何?それだと相手の政党から怒られる?それこそ相手がヽ(`Д´#)ノ?それはまずい。

ならば逆に支持政党の側の名前を利用して、「○○党賛成」とか「○○党好き」とか「○○党愛してる(はぁと)」とか「○○党の○○さん結婚してください(花束)」とかはどうだろう。「○○党の仲間たち」というのもありだな。
いや、やはりそういうコバンザメはよくない(言ってることが一貫してないぞ)。そもそもどうも趣旨を逸脱している感がある。 

やはり、人様の政党名に頼るのはやめて原点に戻ろう。そう、最初に話題に取り上げた政党のように、投票所でうっかり書きたくなる名前だ(何が原点だ)
そこで思いつくのが、
「棄権」
「白票」
「持ち帰り」
などの政党名である。いや最後のはそのまま本当にお持ち帰りされたら元も子もないからだめか。 
仮にこれらの党名で立候補したとして、
「私が「棄権」の○○でございます」
とか
「「白票」から立候補いたしました○○です」 
とかの名乗りになるのだが、どうもしっくりこない。「棄権の○○」というのは「危険な○○」と間違えられる。「あの候補者、ちょっと危険な香りがするわ」みたいなのはある意味素敵だが、選挙ではまずい。お年寄りも見ているのだ。

熟考の上、もっといいものを思いついた。これは名案である。
さきほどのJohn Cageの話がヒントになるのだが、政党名、「」というのはどうだろう。「「」」という政党名ではない。かつて「渚の『・・・・・』」というタイトルの曲(「なぎさのかぎかっこ」と読む)が存在したが、これはそうではない。先ほどから架空の政党名を「」でくくっているのは実はこのためであり、ここでは「」の中身が提案する政党名である。つまり「」とは文字が無い、だが文字列は存在する、そういう党名である。すなわち、文字長が0、空文字列、C言語やswiftであれば””、Objective-Cであれば@""ということである。ポインタはあるのだ。(意味不明だな)
これならば白票、すなわち何も書かずに投票した人はすべて我が政党「」に投票したことになる。我が党としては白票も取り込める。選管としては棄権も減り投票率も上がる。いいこと尽くめだ。
何?絶対無理?認められない?
うーむ、そうだろうか。やはり、私の芸術表現にはJohn Cageのようなメッセージ性がないのだろうか?(いつから芸術表現になった?) 
いや、それ以前に、投票所の政党リストには我が党名は何も書かれていないことになる。選管はご親切にわざわざ「」を書いてくれないだろう。つまり誰も投票所で我が党を認識してくれないのだ。それは困る。だがそれでも白票が入ればいいか。
さらに問題は、当選しても誰にも気づかれない可能性があることである。仮に気づいたとしても、「100万票獲得した(←大きく出たな)「」公認のなめこさんです!」とか、報道する側も戸惑うであろう。(まあ一時期のPrinceみたいな例もあるのだが)

やはり無理か。。。

そんなわけで、今回は立候補するのをやめにした(そういう話?)
だから皆さんは、投票所に行っても「」に投票するのはやめていただきたい。巷では政治に不満があれば抗議の意味で白票を入れろとか言い放っている、これはまた大バカな別の「単」がいるようだが、そんなことをしても、いわゆる「漁夫の利」(意味合いは微妙に違うが)で、どこかはわからないが変な政党に得票率を持って行かれるだけである。白票はいわゆる「支持政党無し」の意志にはならない。現在の選挙制度はそういうものである。「」が立候補していない以上、あなたがここで「」を支持することは、無意識的にどこかはわからないが変な政党を支持し、変な法律や変な憲法を制定させかねない事態に陥る可能性もあるのである。心して頂きたく思う。

参院選が終わったら、次は都知事選だ。そのときまでに政党名を考えておこう。え?都知事選に比例はない?(←当たり前だろ!)政党名あまり関係ない?
まあそんなことはどうでもいい。私が都知事になったら、ホテルで家族会議したりどこかで絵買ったりするとマスコミにものすごく怒られるから、身内の何やらよくわからない美術事業に湯水のごとく税金を使い何やらよくわからない文化に貢献することにしよう。そしてさらに湯水のごとく税金をばらまいて、良いオリンピックにしてみせよう。
だから都知事選では「」、いやなめこさんに清き一票を。

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