弱者
昨日の夜、3時間ぐらいかけて書いていた「強風」についての記事(未完)、こうも後から後から新手の天災(一部人災も含む)が降ってくるので、タイミング的に出すに出せなくなった。
いやこんなくだらないブログのことはどうでも良い。
この手の災害の報道を聴いていると、怪我をされた方や心肺が大変なことになっている方など、毎回実にお年寄りが多い。体力的にどうだの、地方はお年寄りが多いからどうだの、安全なテレビの前でドヤ顔で語っている者もいるだろうが、幸か不幸か、プレート境界、活断層まみれのどこだかの美しい自称先進国は、地震対策に関してはプロフェッショナルであるはずである。いや、そうでなければならない。生産性がどうだとか寝ぼけたことを言う前に、何よりもまず、お年寄りやいわゆる弱者が、いかなる災害があろうとも安全でいられる様な環境を造る対策を第一に考えるべきであろう。
こういうことがどこかで述べられると、じゃあ弱者以外はどうでもいいのか、だのいうような知性のかけらも微塵もないようなアホなどこぞの下僕どもが湧いてきたりするが、弱者が守られれば、あんたらの様な知性もないくせに身体だけは人並みだと勝手に自負する者どもも一緒に(あんたらの場合、ついでにと言っても良い)守られるのだぞ。まあ自分らが年寄りや弱者になるまでには間に合えばいいとかたかをくくっているのであろうが、そんな悠長で身勝手なことを言っているような問題ではない。それに多分この分では間に合わない。無償労働者を雇わないと開けない様なちゃっちい「すぽーつ大会」だの、非常時でも止めるに止められない放射能巻き散らかし発電所だのに、財力やパワーをつぎ込んでいる場合ではないのだ。
こういうことがどこかで述べられると、じゃあ弱者以外はどうでもいいのか、だのいうような知性のかけらも微塵もないようなアホなどこぞの下僕どもが湧いてきたりするが、弱者が守られれば、あんたらの様な知性もないくせに身体だけは人並みだと勝手に自負する者どもも一緒に(あんたらの場合、ついでにと言っても良い)守られるのだぞ。まあ自分らが年寄りや弱者になるまでには間に合えばいいとかたかをくくっているのであろうが、そんな悠長で身勝手なことを言っているような問題ではない。それに多分この分では間に合わない。無償労働者を雇わないと開けない様なちゃっちい「すぽーつ大会」だの、非常時でも止めるに止められない放射能巻き散らかし発電所だのに、財力やパワーをつぎ込んでいる場合ではないのだ。
自分で書いておいて「弱者」という表現は上からっぽくて何か嫌なんだが、一般には他に言いようがないからその辺で妥協した、ということなのだろうか。