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若松公園、もう一つの裏坂 [三浦散策]

殺戮された魚介類をたらふく食べてすっかり満足したなめこさんは、最後にもう一つ、以前より引っかかっている場所へ行ってから、帰ることにした。

例の徳寿院から下ったところにあった三笠ビル商店街の入口である。目的地はここではない。だがせっかくなので中を通る。

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ややっ!(なんだよ)
なんだ、ちゃんと豊川稲荷+成田山不動尊(徳寿院)の案内板があるではないか。

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この前は参道の出口がいきなりこの商店街という、綾辻張りの意外性にパニクって気づかなかったが、そのとき述べたような「よそ者には事前知識が無いと難易度が高い(笑)」ということではなかったのである。(いや、このインナーな商店街にまず入らなければならないという前提の時点で、十分難易度は高いと思うが。。。)

前回の失敗を教訓に、颯爽と駅前のYデッキを渡るなめこさん。(わざわざ上登らなくてもいんじゃね?w

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本当は五差路な駅前の交差点、この前諏訪神社に立ち寄ったときに入った若松マーケットである。

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ん?やややっ!(今度は何だよ)
横須賀ブラジャーとはなんだっ!?

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乳頭山だの二子山だの、おっぱいネタになると盛り上がるこのセクハラブログだが、実はこの間やっていた「じゅん散歩」(この記事の日付より後だぞ!)でも扱っていたので、皆さんはご存知であろう。(平日の時間的にあまり見ている人はいないと思うが)
なので、説明は省略!(おい!)

めんどくさいので(そんなに面倒じゃないだろう)リンク貼ってすまそうと検索かけたら、なんとお祭りまでやっているのだそうだ(笑)。それもなんとタダでブラジャーが飲める!(その言い方。。。)
にしても、イラストのおねいさんのグラスの位置が、なんともいやはや。。。(なぜ口調がおっさんぽくなる?)
これはもうぜひ、次回のブラジャーまつりには参加せざるをえまい!(はいはい)

ブラジャーはおいておいて、先へ進もう。(下品な記事でほんとすみません)
目の前に見える微妙にウザい高層ビル(なめこさん個人の感想です)は、サンコリーヌタワー横須賀中央駅前である。(ってかあんたの水蒸気画像の方がウザい)

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ごめんなさい。今日は諏訪神社はスルー。

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今から向かうのは、龍本寺の麓、いや中腹かな?、にある、空間的になんだかよくわからない存在の若松公園である。

以前、裏坂からお穴さまを経由して龍本寺に登ったとき、その入口にあった標柱、

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これが示す裏坂とは、横須賀共済病院の裏手から龍本寺の正面の参道脇まで登る、道標の前の坂道であることは、石井先生のお墨付きである。

だが、ここに書かれているもう一つの裏坂「この上にある龍本寺の裏から若松町へ下りる石段の道も裏坂といわれています。」と書かれている坂のことを私はすっかり忘れていた。(←老化)

3週間前のミケちゃん一連の汐入〜横須賀散策の後、今昔マップの迅速測図を眺めていたら、龍本寺の北側に何本かの登り坂らしき道ががあるのを発見した。
そして私は今まで迂闊にも気づかなかったのだが、現在でも龍本寺へのアクセスには、平坂から若松会館の脇を入る超急坂、いわゆる正面の参道、裏坂、そしてお穴さまの坂以外にもう一つ、サンコリーヌタワー横須賀中央駅前から若松公園グリーンのエリア)沿いに北側の断崖をひたすら登る階段があったのである。


上記の標柱の解説文には「石段の道」と書かれているので、この階段がもう一つの裏坂だろう。
Googleさんが3D環境にある方は、上の埋め込み地図を「拡大地図を表示」にし、航空写真にしてぐるんぐるんやっていただければこの階段のすごさ、というよりもここの過激な断崖性がおわかりになるかと思う。(3D、サンコリーヌタワーがやはり若干ウザいです(笑))

いかにも現在の階段の形状は現代的であるのだが、迅速測図に描かれている道との継承性があるのかどうかを検証してみよう。
以下の地図は、例によって地理院地図上に迅速測図に描かれている道路をトレースしたものである。

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今昔マップもご苦労されていらっしゃると思うのだが、迅速測図はこれ以降に発行された地形図とのズレがところどころで著しい。むしろ、アバウトな測量で「迅速」に地図を作成し、この程度のズレで済んでいることを評価すべきであろうか。

とりあえず上の図は、浦賀道平坂の形状(黄色のライン)で新旧の地図を合わせてみている。これで浦賀道西側の道(図書館の山(緒明山)側の道など)が、現在の路地と微妙に一致している様子を見てとることができるが、東側、例えば龍本寺の参道とそれにつながる道路は横方向にずれまくっている。これが作図の誤差によるズレなのか、実際に現在の道路からずれたところに元々道路があったのか、どちらかはわからない。県道国道レベルならいざしらず、現在住宅地であるところの道をわざわざ元の道をつぶしてまでずらして新しい道を作ることはあまり無いようにも思えるので、ここは作図上のズレとしておいた方がよいのではないかと思うことにする。そうなると、で描いた海岸線もあまりあてにならないかも知れないところが悩ましいが、今はおいておく。
ズレている参道の方に合わせたり、伸縮をかけてみたりもしてみたが、こちらを立てればあちらが立たずでの不毛な作業になるので、このレンジの地図ではやめておこう。

なので、龍本寺周辺を切り取った図であらためて調整してみることにする。参道のズレを作画上のものと解釈し、参道付近の道路と、平坂を無理矢理合わせてみたのが以下の図である。(拡大縮小だけでなく歪みも入れています)

FukadaJ-2.png

解説の必要もあるまいかと思うが、マークが龍本寺病院マークは横須賀共済病院、お寺の左上の網々の方形サンコリーヌタワー横須賀中央駅前である。その右側でぷにっと┓型になっている道がサンコリーヌタワーから若松公園を経て龍本寺へ登る北側の階段部分である。仮にこちらの坂を裏坂2としておいて、先に道標のあった横須賀共済病院から登る裏坂1の方を見てみよう。

緑のラインが迅速測図の道で、両端が現在の道路にほぼ合致しているが、途中が大きく上に角張っている現在の道路に比較して、割とストレートに登っているようである。
な〜んちゃって、なのだが(はい?)実は迅速測図の時点でふるさと横須賀に記載されている「裏坂」はまだ完成していないのである。迅速測図の作成時期は1880年代(明治10年代)、石版による裏坂の開通は1919年(大正8年)、つまりここに描かれている迅速測図の道は、20世紀になってから開通した裏坂の原型、つまりは旧道のような道なのであろう。
迅速測図をトレースした緑のラインの道路形状をある程度信じるならば、神明社の前を通るこの道は、以下のGoogleさん埋め込みの、現在の裏坂である右方向の切り通しを通らず、進入禁止左側の階段に相当する坂を登っていたかも知れないのである。


そして参道への合流部分は、何度か出ているかと思う以下の画像、左の現在の裏坂ではなく右側の上り階段の方だったのかも知れない。

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つまるところこの旧道は、龍本寺参道に達するまでには単なる坂道ではなく、一旦我らが観音崎尾根(右側階段上)越えをする道だったということになる。そのことは迅速測図において道路(図ほぼ中央の点線のライン)と等高線との関係でも見て取れる。
点線路だから道幅も狭い。しかも山越え。これじゃあ切り通しの坂道を作りたくもなりまさあね(笑)。

さて次にいよいよ裏坂2の方である。
これは旧道との対応を比定するならば、上の広範囲の図では緑のラインが位置的に有望であるのだが、切り取り無理矢理調整図の方ではその西側の黄緑のラインの方が合致している。本家の迅速測図を見てもこちらの道(実線路)は、お寺の敷地と思われる平場の中央を縦断していて、隅を通過する点線路(緑のライン)と比較して現在の道に近い。

実線で描かれる道路ゆえに、もともとそこそこに道幅があって有用性も高く改良の必要が無かったものが、ごく最近になってサンコリーヌタワーの建設による整地や、若松公園の整備などによって、現在の階段路に改良された、というストーリーを描いてみるのだがどうであろう。つまりこちらの若松公園の坂が現役バリバリの「もう一つの裏坂」なのである。

というわけで前置きが超長くなった。これ以上よそ者が地図のみを根拠にぶちぶち述べるのは、時間とサーバーと電気とお寿司(?)の無駄である。
早速、裏坂2を登ろう。

階段が見えてきた。右側のオシャレなエントランスはサンコリーヌタワー

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そして階段の左側に、若松公園の入口がある。

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この若松公園、場所が場所だけに(若松マーケットからと、龍本寺から件の階段を降りる以外にアクセスがない立地)あまり評判がよろしくない(笑)。
ネット上では、オーソライズされたサイトは見つからず、以下の「市民の声」のページが見つかった。


後のなんか、公園を廃止してしまえとまで書いてあるぞ(笑)。
実際これ以上の公園の画像が無いのは、この日もたまっている方々がいく人かいらっしゃったからである。(なんだ、たまってらっしゃるって)

だが実はこの公園、この階段左側の平坦部だけではないのだ。
Googleさんで見ると、階段の左側のグリーンの部分が公園の領域と思われる。


このグリーンの部分がすべて平坦なわけではない。

3Dの埋め込みは無理っぽいのでリンクでご覧いただきたいのだが(ご覧になれるかな?)、階段の登り方向、上の図から反時計回りに90度以上回転させた方向である。階段の左側、階段が右にぷにっと曲がるちょっと先までが公園である。
つまり、平坦部の先の斜面の部分も公園の敷地なのだ。残念ながら人間はその斜面の敷地には入ることはできない。
実に面妖な空間構造の公園である。幼稚園のとなりの遊具広場から始まる諏訪公園といい勝負である。

さて、問題の階段である。

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うわぁ〜、登りたくねー。(笑)
修正した画像の色調も思いっきり変だし(それ関係ない)

うんしょ、うんしょ、うんしょ、うんしょ。。。

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頑張って高いところに登れば、いい景色も見られるのだ。

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左はここも公園の敷地であるの画像。

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登りついて建物の間の道をたどると、

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おなじみ、龍本寺の境内の表側に出る。

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以上で裏坂2、踏破!(階段登っただけじゃん(笑)。能書き長い割にレポート短かっ!)

いつものように、中央公園で海を眺めて、

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博物館側に下り(そのときの画像を「こちら」で使用しました)横須賀中央から帰宅。

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横須賀港、ヴェルニー公園2 [三浦散策]

長光寺のつづき

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いや、由美かおるや「せごどん」のおじいさんは今は関係ない。
時刻は13:30、過酷なアップダウン(笑)を繰り返したせいで、私は空腹なのだ。
こうなったら憧れのショッパーズプラザ前のスシローで、昼食を取ることにしよう。(憧れかよ?)

早速予約を、うに、 うに、 うに、 と。。。

1時間待ち。。。orz

こんな時間になってまで、横須賀市民は他に昼取るところが無いのかよ!
とよそ者が地元民にぶんすか怒っても仕方がない。以前より懸案にしている大津まで行ってラーメンを食べるという案も浮上したが、今からあそこまで行く気も起きない。

幸いショッパーズプラザの裏は港だ。そう、横須賀は港町なのである!(何をいまさら)
海をぼーっと眺めていれば、1時間ぐらいすぐすぎるだろう。

ということで、唐突だが横須賀港である。

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看板にある軍港めぐりもしたいところだが、今から並んでるとスシローに間に合わない。なめこさんの中での優先度はもはや全面的にスシ>軍港になっている。

仕方がないので、空が凶悪だがかまわずGo!Go!なパノラマ。

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ちょっと歩いて東側米軍側のパノラマ。

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はい、解説。

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ブラタモリでもやってたし、上画像でドックがどこにあるかとかはそういうのは良いだろう。(手抜きめ)

ヴェルニー公園このときも訪れたが、青緑の人に怒られたので散策したのはヴェルニー記念館のある西側の端少しだけである。(人のせいにすんなよ)

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スシローはこの右端のPのさらに右。(スシローのことはどうでもいい)

む。(なんだなんだ?)
横須賀市お得意の記念碑の群れだ。(何だよお得意って)


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私はAndroidユーザーではないので軍艦には詳しくないが(はい?)、この「長門」の最期はなんかものすごく可哀想である。


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これだけ戦前に建てられたものである。色々ヤバいものがべりべり剥がされてしまったらしい。


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こちらは限界バリバリまで拡大しても解像度的に無理だったので、碑文については上記リンク先をご覧頂きたい。

以上、記念碑の皆さんであった。

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この後、公園のほぼ中央にいるという横須賀の父、いや母かな?である小栗上野介さんの銅像に会いに行こうと思ったが、そこで予約メールが来た。今はなめこさんの中ではスシ>横須賀の父である。(ひでー)

小栗さんはまだ今度にしよう。
そう、海を眺めてぼーっ生きてると、1時間なんぞすぐに経ってしまうのである。

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長光寺 [三浦散策]

子之神社のつづき

何週か前、例の汐入町上町界道から汐入町側に下りてきたとき、向こう側の山に気になる建造物があった。

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これだとよくわからないな。まあそのうちにおわかりになるのだが、こう、なんというか、天空に浮いているような建物なのである。
まあ何かの宗教施設、お寺か神社であろうことは、Japanese ordinary peopleなら見当がつこうものである。
色々調べてみると、該当位置にあるものは「長光寺」というお寺だそうだ。

忘れるといけないので、先にリンクを貼っておこう。


最後サイトの画像が、このお寺が天空天空している状況をわかりやすく表している。我々は今、その画像のずっと左方、山の麓にある子之神社にいる。
高所恐怖症のくせに高いところが大好きななめこさんである。これを見過ごし登らざるをえないでいるものか。いやない。(何語だ?)

というわけで長光寺を目指し、例によって山をぐるぐる回り込む。

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あったあった。ここが入口のようである。

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当然のことながら延々と登り坂の参道だが、参拝する者を飽きさせない、あるいは疲れさせない配慮だろう。お地蔵様やその他諸々のオブジェ、建物が途中途中に色々と配置されている。

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元々神社仏閣はアミューズメントだったのである。今も楽しんで悪いことはあるまい。ウキウキしながら(はーはー言いながらです)階段を登る。

この建物は不明、

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お隣は水子地蔵尊。さらに登る。

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お稲荷さんと延命厄除のお地蔵さま。

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登り坂を振り返ったところ、目指すはこの上である。

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これを書いているのが歴史的酷暑の時期なので、このときの気候がどうであったか記憶から飛んでしまっているが、やはり相当に暑かったのだろう、水蒸気(厳密には水です)が出まくっている画像で申し訳ない。

本堂。ここが頂上である。

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お参りそっちのけでとりあえず画像。(笑)

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東方向のズーム。

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中央やや左の高層ビルが中央大通りの「ザ・タワー横須賀中央」、右が龍本寺下の「サンコリーヌタワー横須賀中央駅前」。「ザ・タワー横須賀中央」に左の山の上の建物が、緑ヶ丘女子中学校高等学校、そしてビル右側の山、高みが概ね先程探索してきた汐入町2丁目東尾根である。

奥へ進む。

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そして観音堂。

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例によって適当なお参りも一通り済んだことなので下るとしよう。

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さっきはこの上にいたのだ。微妙に怖い。

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最後になってしまったが、参道の入り口脇にあった子育子授地蔵尊。

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子供を授かりたい方は何度でも来られるだろうし、授かったら授かったで上まで登るのは億劫だ。だから下にあるということなのかな?
胞子で増える菌類の私が言うのもアレだが、産むのが義務だの何だのわめくだけのじじいだの「出産」を「生産」で語るクソババアだのどもが跋扈し、ろくな育児政策を出さない腐れ政権与党や、プレッシャーだけはかけてくるくせにあとは何も考えていない無責任な愛国心あふれるとか自認している周囲のイナカモノ偽善者どもに、負けるなよお母さん、そしてお父さん。


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子之神社 [三浦散策]


実際には2件で空腹落ちになってしまったのだが、今度は汐入駅汐入川沿いのいわゆる「汐入町」の社寺を色々回ってみようと思った。
まずは子之神社。ここは以前汐入から坂本町へ向かった際、目の前を通ったはずだがあまり記憶がない。画像も残っていないので多分スルーしたのだろう。そう、例のちこく坂ポスターを見かけ、お祭り菌類のなめこさんを油断させたあの子之神社である。

先程申し上げた汐入駅から汐入川沿いに坂本町へ向かう通り、八坂道ともいわれるが、に近い界隈では「汐入子之神通り」と呼ばれているらしい。

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神社は通りに直で面しているのですぐにわかる。

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例によって狛犬さん。

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階段を登る。

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この画像を撮る前に、若い男性の2人組、どちらかといえばお兄さん系の方々が階段を降りてきて、すれ違いざま挨拶をされた。氏子さんなのか、それとも失礼な言い方をすればそっち系のマニアの方々なのか、普通にいい人たちなのか。(笑)
普段狛犬さんたちよりも凶悪な顔をしているなめこさんも思わず顔がほころぶ。(狛犬さんに謝れ)

というわけで、階段の上にも狛犬さんたちである。

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拝殿。

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御由緒書だが、だめだ、読めなひ。。。

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いや、頑張れば読めないこともなかろうが、信心深くないなめこさんは例によってインターネッツの力を借りて楽をしよう。


他にもあるが、これぐらいにしておく。

ということでざっくりと。
こちらの御祭神は大己貴神、ご存知大国主である。
この神社も元の場所は楠ケ浦、明治維新後にこちらへ移ってきたらしい。色々大変だな、横須賀は。

左奥にお神輿。

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その横のお稲荷さんだが、失礼な言い方ながらお社と周りを含めてそのビジュアルが実にかっこいい。ある意味少し萌える。

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上記サイトリストの最後の「砲弾」は見逃してしまった。なめこさんは平和主義者で軍事ヲタさんでもないが、こういうものを見逃すと実に悔しい。(笑)
よってまた機会があればお参りに行こう。(砲弾目当てかよ)

長光寺ににつづく

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汐入町2丁目東尾根 [三浦支尾根プロジェクト]

良長院尾根のつづき

浦賀道に突き当たったところから見える「今日の大楠山」。

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汐入町2丁目は、汐入駅を中心にひらがなの「し」の字を左へ45度傾けたような形をしている(Mapion)。汐入川をはさんで、東西どちらにもそれぞれ小さな尾根が通っていて、そのうち東側のものを汐入町2丁目東尾根として本記事で扱う。
因みに西尾根の方は逸見汐入間の浦賀道が乗っかっているが、こちらは例の聖ヨゼフ病院から緑ヶ丘女子の脇を下ってしまうので、尾根浦賀道は一部を除いてあまり関係はない。

とりあえずはその浦賀道汐入駅方面へ向かう。
例の「崩落注意」の坂を下る。おわかりになりにくいかもしれないが、正面に目指す尾根が見える(右画像)。

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坂を下って一旦平坦になったところを左へ。

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坂を上って尾根に乗っかる。

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左側の見晴らし。谷の左側が浦賀道の通る尾根良長院尾根。つまり先程の「崩落注意」からとは逆方向の眺めである。

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尾根上の平坦な道。

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出たw。U.S.FORCES向けの看板である。

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意味がわからない。ローカル居住者の性質?属性?(あとでわかる)

道は一段下がり、

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2つに分岐している。

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汐入駅方面が展望できる右のほうがダメそうに見えたが、実際は左が行き止まり。

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その汐入駅方面の眺め。

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道は下り傾向である。

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さらに下る。

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ここでミスってしまった。右のアジサイ画像から先は求める尾根道ではない。

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前右遠方の高台に、緑ヶ丘女子中学校・高等学校の建物が見える。

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前にもどこだかに書いたが、この文字付きの建物は遠方からもよく見えるので、ちょっとした目印になる。

つまり今、後出しで言えば、この時点で方向的に怪しくなっていることに気づくべきだったのであるが、ずっと下り傾向の道が続き、あとはひたすら下るだけだと思いこんでしまっていたのであろう。

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正面の白い建物は、汐入小学校。そしてその学校の前に下る。

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これは想定外である。尾根道はもっと西側の汐入川沿い、坂本町へ通じる道の方に出るはずだ。

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反時計方向に尾根の裾をぐるんと回ってみる。

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それっぽい階段がある。これだろうか。。。?

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上って行き止まりだったりしたらハヒハヒである。(ハヒハヒ?)
スマホ画面のGoogleさんと格闘する。どうやらGoogleさん的にはOKのようだ。

この階段を上って逆走し、この時点ではまだわからない、ミスった地点まで戻ってみよう。



元の道、緑ヶ丘女子を望むアジサイの手前、ここに左への分岐があった。

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左分岐、この狭い路地をうにうにと進む。

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下り傾向から回復し、むしろ上りもあるということは、尾根上をしっかりとキープしているということになろう。

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だがまた下り。

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左側の眺めが良い。これは中里通り、あるいは例の若松隧道へ向かう通りの谷である。

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そろそろ尾根は終了。

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右画像、ベンチのある前のお宅は外国風、いやゆるThe U.S.FORCES関係の方のお宅であろう。

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汐入駅方面。

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まもなく下界に出る。

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上り口に先程の米軍向け英語看板がある。

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先程のには元々書いてなかったのか、消えてしまったのか、こちらにはちゃんと赤文字で和訳が書いてある。なんちゃってプログラマーにとって、"Property"に土地だの財産だのの意味があるとは知らなんだ。

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下界、学校通り。緑ヶ丘女子汐入小学校のことだろう。

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子之神社へつづく

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良長院尾根 [三浦支尾根プロジェクト]

良長院のつづき

こことかこことかに書いたことだが、横須賀中心部付近の都市尾根は、尾根道の抜けが良いものと、そうでないものがある。基本前者は尾根線まで都市開発されたことによるものであるが、その場合でも中には学校のような施設が尾根上にでーんと居座っていて逆に抜けられないこともある。トリュフォーの時代から学校はとかく山の上に建てたがるものだからである。(?)

良長院の脇から、ちょっとしたいい感じのプチ尾根がある。いや、プッチ尾根というべきか。(いつのハロプロだ?)

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上図赤紫の部分の尾根ライン良長院側は微妙だが、浦賀道をはさんだ西側が、これはまたいい感じに尾根上に道が付いている。
これから汐入川沿いの気になる物件(物件言うな)に向かうのだが、ここはひとつ万有引力に逆らって、この尾根道を経由して汐入方面へ向かうのも乙であろう。

赤紫尾根を、本記事、次記事と連続して扱うが、これらの尾根は厳密なグラフ的には観音崎尾根支尾根の、さらに支尾根同士の別の尾根である。めんどくさいのでここに現れている細かい尾根にいちいち名前は付けないが、一応本記事以降で扱う尾根については、浦賀道をはさんで東側を良長院尾根、西側を汐入町2丁目東尾根と名付けておくことにしよう。

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良長院の門前の右側の坂を登る。

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この道は厳密に尾根道ではないが、尾根に上らんとする坂である。

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左側の塀の下は良長院の墓地である。人様のお墓なので中には分け入らなかったが、大勝利山側の尾根との間のきれいな谷間になっているはずだ。

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ある程度上れば、塀越しに背伸びすると中央方面が展望できる。

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上りきった道をさらに上る。

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はまゆう公園の崖上にもいた花。

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例によって海が見えてくる。

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まもなく浦賀道に合流する。

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尾根線に少し外れて浦賀道に当たったので、西側の尾根に上がるには少し浦賀道を歩くことになる。

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良長院 [三浦散策]


これから目指すプチ支尾根と、例の大勝利山の突き出している尾根の間に、良長院というお寺がある。
ほんのちょっと立ち寄っただけだし、画像も逆光祭りで色合いも変だが、せっかくなので、雑で申し訳ないがご紹介しておこう。

HOTEL NEW YOKOSUKAの通りまで下る。

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一本右、山側の道に入る。ボカされているのは「U.S.FORCES休日」と思われる人物。(笑)

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さらに右に入ったところに、お寺の参道がある。「良長院」「龍谷山」。

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こちらも米軍さんは立入禁止のようだ。(笑)

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山門を入る。鐘。

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本堂。

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出世閻魔堂。閻魔様。

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閻魔様の向こうにある石塔群。

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文字が読めるように大きめの画像を貼っておく。(クリックで拡大します)

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奥にいる、お地蔵様の皆さん。

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震災記念観音と殉職者弔魂碑。

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説明書き、由緒書の様な類の画像は無いので、良長院に関してはこれらのサイトをご参照いただきたい。


これらによれば、良長院は鎌倉時代に「長峯城」、または「永峯城」主の瀬尾重兵衛良長さんが、現在U.S.FORCESによって占領されている泊町に創建したとある。
この「長峯城」がわからないが、こちらのページにそれらしきものの記載がある。


こちらによれば、長峰城としては、諏訪大神社の裏と楠ケ浦(泊町)の2箇所のどちらかが考えられるとある。この長峰城が良長さんの「長峯城」なのか、それと三浦横須賀氏と良長さんの瀬尾氏との関連などが全くわからないが、仮にどちらかが「長峯城」であって、どちらでも地理的には関連していそうだ。(いや、お寺の移動がいつなのかによるのではないか?)

面倒なので、いちいち該当ページの方にリンクはしないが、延命地蔵尊や諏訪大神社諏訪公園などに関しても記載されているので、ご興味がおありの方はご一読されたい。

良長院尾根へつづく

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諏訪公園(下2) [三浦散策]


ページ配分をミスってしまった。。。((中)をさっさと終わらせるからだ)
(下)のつづきである。

招魂塔やクマさんがいたという広場から階段を登る。

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登った先の右側にも何か碑が建っている。

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どうもこちらは裏面のようだ。ごそごそと表へ回る。


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ここでいう皇太子とは現時点での天皇(明仁さんです)のことである。下から見上げることができたのかもしれないが、残念ながら葉っぱが邪魔して見えない。

左方向に登る。

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ここもちょっとした広場になっている。
登山ハイキングなどをしていると、道の良し悪しは別として、こういう空間にひょっくり出ることがある。ざんざん階段を登って、今もまさに登山気分である。

さらに上の段に登る階段があるが、ややっ!(何だよ)

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右側に見える白い建物は、位置的に緑ヶ丘女子中だか女子高だかのどちらかである。そちらへ道が付いている。

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これはもしかして、先程撤退した乙女の園階段(だから勝手に名前を付けるな!)を登ったところに通じているのではないか?なので階段の上、本格的に学校の敷地に入る前で左へ進めば、問題なくここへ出てこられるのかもしれない。降ってみて確認しようかとも思ったが、また登るのが面倒なのでやめた。(そんなのばっかだなこのブログ)

なんにせよ、その道が通れそうであることはわかったが、例によって後は自己責任でお願いしたい。(でた)
もし捕まるようなことがあっても、間違ってもなんとかいう自称菌類「うにうに」だか「うにゃうにゃ」だかのサイトを見てきました、などとはチクらないでいただきたい。(笑)

先へ進み、階段を登る

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この広場が頂上のようだ。

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ここでこの地形的な階層関係を一旦整理しよう。
諏訪大神社から始める。あのU.S.FORCES立入禁止の階段の登り口を1Fとして、その上の狛犬さんたちのいるところが2F、さらに登って拝殿のあるところを3Fとする。
そこから脇の階段を登って、招魂塔やクマさんのいた広場が4F乙女の園階段(だからその名称やめろ)に通じる道があった広場を5Fとすれば、ここは6Fにあたる。

賑やかだった頃の公園としては、招魂塔やクマさんの広場があった4Fがメインだったようだ。ここはそこから2段上がったいわゆる展望台のようなところか。お城で言えば天守台であろう。あるいはふるさと横須賀の記述によるところの八幡社があった場所なのかもしれない。

右側の建物は、緑ヶ丘学院、女子中か女子高である。

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この建物がなければ、汐入方面、港とかよく見えるのではないか、と思ったが、バックに駅前のメルキュールホテル横須賀が見えるこちらは実は陸地方向になる。

ややっ!?(今度は何だ)

ここの奥から降りれそうだ。(ら抜き言葉よくない)

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左に下る道があるが、とりあえず右へ。

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よくわからない空間、平場がある。位置的には、んー、浦賀道側?

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戻って一旦登ってから、先ほどの左側の下り坂を下る。

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どの画像もグリーンの調整ががさつで申し訳ない。

延々と下る。ちょうどこの左側がクマさんの広場辺り?

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さらに怒涛の下り。ん?ここは?

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先程の、「いやだな〜。行きたくないな〜」の藪々に出た。

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戻るのは面倒なので、アーケプラスチダの皆さん(植物です)を無理矢理蹴散らして強行突破した。(伏線回収乙)

ここは普段人が通らない道なのか、それとも春の間にアーケプラスチダの皆さん(植物です)が子孫繁栄してしまったのか。
後で考えたことだが、仮に先程の頂上に八幡社があったとして、この直線的な坂道は元々その参道の様なものだったのではないだろうか。茶屋だのクマさんだの、世俗にまみれずに一気に神社まで登れる道だからである。あくまでも想像である。

最後に諏訪大神社の善良なアーケプラスチダである(アーケプラスチダに善良も凶悪もあるかよ)、カラフルなアジサイさんたちの画像を貼って、この項は終了としよう。

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良長院へつづく

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諏訪公園(下) [三浦散策]


諏訪公園に関しては、いつもの「ふるさと横須賀」に記事がある。(諏訪公園 『戦前は小動物園も』
これによれば、昔は賑やかで、いわゆる売店もあるような、あるいは一時期は動物園もあったようなそういう公園だったそうである。
先程の横須賀幼稚園の隣のエリアは、複数の家族連れの子どもたちが遊んでいたりもしたが、その後は、緑ヶ丘学院の階段前を降りHOTEL NEW YOKOSKA、本町会館を迂回したときを除き、例の「諏訪公園」の看板の掲げてあるエリアでは、誰にも人に出会うことはなかった。梅雨の合間の晴れ間の休日ではあるが、この暑苦しさが人々を敬遠させているのだろうか?

さて、前回見逃した、いや見送った(言い直さなくていい)諏訪大神社から諏訪公園への上り階段、

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諏訪大神社だのこの辺りだのは色々聖地であるのだそうだが、うちはそういうサイトではない(笑)のでスルーする。申し訳ない。

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道が左右に分かれている。どっちに言っても上の段に上がるのは同じような気がするが、なめこさんは左翼なのでこういうときにはへ行く。(思想関係あるのかよw)

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じゃ何か?お前は車運転するとき右側通行するのかよ?(子供か?)

ここから神社を見下ろすことができる。神社から見上げると水色のフェンスが見えた、それだろう。

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右に階段が付いている。先程の分岐の上に出られるようだ。

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この先まっすぐも行けそうだが、ちょっとした藪々になっている。いやだな〜。行きたくないな〜。

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やめておこう。(こういうのはたいてい伏線、もしくはフラグです)

右の階段を上った先は広場である。

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この公園の領域を城郭であると言う資料は見当たらないのだが、郭のあるお城っぽい構造である。仮にこれがお城であればここは何とか丸と呼ばれるような場所であろう。

ハレハレの画像でお見苦しいとは思うが、諸々のオブジェの位置関係を見るのにわかりやすいので、この広場のパノラマを貼っておく。

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例によってなめこさんはヘタレ左翼なので(自分でヘタレ付けるな)左回りで見ていこう。なお、説明が面倒なので、これらのオブジェ、記念碑等の解説に詳しいこちらのサイトもあらかじめ貼っておく。


まずはこの木である。何か説明書きがあるが。。。

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ちぃっ!ただの木かよ。(何その態度w)

まあ良い。説明書きに書いてある葉っぱを見てみよう。
うーむ、確かにハート型だ。

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はい、次。動物愛護の碑である。

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「ふるさと横須賀」で記されていた、かつてあったと言われる動物園のクマさんがいた場所なのだそうである。クマさんは戦争が激化したときに、いとも簡単に「処刑」されてしまったそうだ。それを含めた供養碑なのだそうである。
てか人間の戦争に動物を巻き込むなクズが。
言っておくが、戦争に巻き込まれる一般庶民も動物っちゃ動物である。
言い直そう。
一部のクズ人間が引き起こす戦争に、一般の人間も含む動物たちを巻き込むなクズ人間が。
よくよく考えてみれば、動物以外、植物や菌類や、その他何だかわからない生命体(生命体ゆーな)も含まれるはずだ。きりがないな。めんどくさいのでこれ以上はやめておく。
一部のクズ人間がとっとと絶滅すれば済む話だ。

そして問題のコレである。

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説明書きがある。

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読めねえ。。。orz
「高度なデジタル技術」(Photoshopです)を駆使してみたが無駄であった。
幸いこちらのサイトに、この看板の文章が書いてある。


あなたの方が謎だろ、と突っ込みたいところだが、そこをぐっと抑えて(←いや、あんたの方がもっと謎だろw)、ありがたく引用させていただく。

この鉄板について
鉄板についての詳細がわからないため、市民等からの
情報を看板でお願いいたしました。
今までに分かったことは、以下の通りです。
1 この場所に設置される前は、緑が丘高校の入り口付近にあったそうです。
2 戦艦「三笠」の物ではないか。
横須賀市

現地でろくに読みもしないで、画像だけ撮ってきて「高度ななんちゃら」で何とかしようという根性がいけないのは確かであるが、その高度ななんちゃらでも読めない状態の看板になっちゃっているということは、上記のことがわかってから後、何も進展、更新が無かったということであろう。まさに戦後は遠くになりにけりということである。

あちらの段になっている方に向かってみる。

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これは、かつての招魂塔の台座であったそうだ。

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先程ご紹介サイトには、在りし日の招魂塔の画像がある。結構立派なものがあったようだ。
戦後に鬼畜米英(笑)の命令によって取り払われてしまったそうだが、後々この手の施設をゲスな政治家とその下僕がゲスな政治利用をしていることを考えると、建てた方々には気の毒だが鬼畜米英が正解だったのかもしれない。

階段を登ってみる。

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裏側に、先程の分岐を右に登る階段がある。
右を選んだ右翼は英霊に正面から向き合うことができないのだっ!(あんたがドヤ顔で言うことじゃないだろw)

招魂塔の台から見た広場のパノラマ。こちらもハレハレで、さっきと逆ベクトルというだけの意味しかないが、画質はさっきよりはマシかな?

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最後にこれ。

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左の碑は私も何だかわからなかったので、とくにアップの画像はないが、こちらのサイトはしっかり抑えていらっしゃった、「満期記念の碑」だそうだ。
そして右のは、青島攻略参加工作船関東丸工作部一同による「手水鉢」とのこと。

ここへ入ってくる入口の脇に階段がある。

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お約束どおり、先に進もう


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諏訪公園(中) [三浦散策]


よくよく考えれば、今日は日曜である。土曜よりも念が入った休日である。管轄外乙女たちは学校にはいないだろう。(部活とかあんじゃね?)
それに、いくら怪しいとは言えなめこさんはよそ者である。(?)
いっそ外人のフリをして、内田裕也ばりに「"I can't speak fu(全方向的にダメだろ!、それ!)

ここは正攻法的に攻めるべきであろう。横須賀幼稚園乙女の園経由は邪道である!(大丈夫?このブログ)
そう、あの諏訪大神社で見送った(正確には「見逃した」ですよ)入り口から、諏訪公園へ堂々と突撃するのだ!(突撃?)
向山行在所はうっかり裏側からアプローチしてしまったが(うっかりじゃねーだろ!)、今度は表からの正式アプローチになる。これで明治天皇の無念も晴れるだろう。(何を言っているのか全然わからないぞ)

そんなわけで、とぼとぼと坂道を降り、諏訪大神社まで迂回することにする。

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HOTEL NEW 越谷YOKOSUKAの手前を右折。

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見覚えのある警察の装置。
あ、落書きが消されている!
さすがは横須賀、対応が早い。(左画像は2018.5.27)

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だが、上に何か乗っかっているぞ。やはり警察はなめられているようだ。(笑)

本町会館の先の階段、これが諏訪公園への秘密の入り口♡である。(秘密じゃない)

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坂の突き当りは、

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左側、諏訪大神社の2Fにあたる場所に出るのだが、右側にさらに登る階段がある。

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この坂道は、神社の入口にこんな看板↓まで出されてしまった(2018.5.27の画像)U.S.FORCESが無事に諏訪公園に行けるように配慮したものかと一瞬思ったが、

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こともなく階段道は神社の拝殿のある3F部分に入ってしまう。

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ここのアジサイは神社の境内なので、U.S.FORCES的にはOFF LIMITS YEAH!である。(ここには看板ないから、別に入っちゃってもいんじゃね?)

何にせよ、私は米軍でもなければイージス艦でもないので、とりあえず今日もお参りしておこう。

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今、出てきたところだが、前回見送った(見逃した、です)この右側の道から諏訪公園へ向かう。

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いよいよ諏訪公園、核心部である。(え?ここで終わり?)


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諏訪公園(上) [三浦散策]

そんなわけで横須賀散策シリーズの第2弾である。(なぜいつのまにシリーズになってる?)
前回は本編(本編?)のフォロー(あれこれ)や、他の興味深い物件をいくつか訪ねてみる(あれそれこれ(他にもう一つはなめこさんが闇に葬りました)ことをミッションとした趣旨の散策であったのだが、そこでなめこさんの「お祭り菌類」属性が発動し、想定外である横須賀下町のお祭りに遭遇してしまった。他にも深田台でツインテのなんたらちゃんに会った様な気もするが、放送でいきなりタイトルが変わったアニメのこと(はいふりだろ?)など私は知らないので、そんなことは忘れた。

そんなこんなで今回はまず、前回どこにあるかわからず幻の公園と化した(化してねーよ)諏訪公園」を探索してみよう。そして前回、どぶ板通りと変な商店街(変な言うな。三笠ビル商店街です)とお祭りのせいでせいじゃねーよスルーしてしまった、汐入中央の裏側の未踏の地を尋ねてみよう。

ということで、今日も八景からえっちらおっちら普通に乗って、やって来ましたよ〜、汐入駅

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予め地図で調べたので、今日はちゃんと行けるぞ諏訪公園汐入駅から直でGo!Go!Go!(またイヤなノリだ)

例の「安全第」の先、おねいさんの旗がぶら下がっていたので、こちらの地図では「どぶ板通り」に含めてしまったが、例えば以下の汐入駅内の地図

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には含まれていない微妙な部分、いうなれば「プレどぶ板通り」といったところか(変な名前勝手につけるな)、そこに諏訪公園の登り口がある。

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階段を登ると、横須賀幼稚園がある。

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手前に見えている遊具は幼稚園のものではない。「諏訪公園」の敷地のようだ。なので、なめこさんの様な怪しい者がずかずか入っても大丈夫である。

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なるほど、ここが諏訪公園か。ミッション終了であ(違うだろ)

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ということでずかずか入ってみよう。遊んでいた子どもたちを蹴散らし(写らないように子どもたちが離れたスキを見て撮影しましたw)、奥へ進むと、、、

ん?遊具の奥にある、これは、、、?

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リヒャルト・シュトラウスのツァラトゥストラが頭の中で(それはもういい)
ドンどんドンどんドンどんドンどん、ぱー、ぱー、ぱぱー♪(やかましい!)

あまりふざけていると、そちら方面の方々が激怒するかもしれないので、真面目に貼っておこう。
明治天皇横須賀行在所阯」。

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ワンセットかと思っていたのだが、右側の石が「聖蹟の碑」で、先に建てられたものらしい。

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この向山行在所については、ふるさと横須賀にも記事がある。(明治天皇 ① 『45年間に66回も来県』
今よりは交通の不便な時代である。そこへ16回も泊まりに来ているのだ。ありがたいことである。碑を建てたくなる気持ちもわからないでもない。

「行在所阯」の方の正面と左面。右面にも建設年月が書かれていたようだが、画像はない。

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正面は読めるだろう。左面はクリック拡大すれば読めるのだが、一応書き出しておこう。

史蹟名勝天然記念物保存法ニ依り
史蹟トシテ昭和八年十二月文部大臣指定

この手の史蹟に「天然記念物」を同列に並べて記載するのは、何かそこはかとない失礼感を感じたのだが、あまり深く言及するとこれもまたそちら方面の方々が激怒しそうなのでやめておこう。(?)

碑の前に階段があり、下った先がどぶ板通りである。その向こうの国道16号も見える。

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かつては、海や港湾施設、造船所なども見えたのかも知れないが、今は民間の一般人の集合お宅が建っていて見えない。
碑の位置や向きからして、こちらから登るのが正式なルートなのだろう。裏から登って2001年のモノリス扱いをして大変失礼をした。(だったらリヒャルト・シュトラウスとか書くなよw)
(ちょっとだけ追記)
ちなみに、行在所入口の石柱が、この見下ろしたどぶ板通りの先の国道16号の角のところに立っているそうだ。どぶ板通りを粋がって歩いているなめこさんの様な人には、明治天皇のありがたみはわからないようになっていたのである。(笑)(追記ここまで)

先へ進もう。
横須賀で「先へ進もう」と言った場合、たいてい階段である。(笑)

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階段が2つに分かれているが、ここは右へ登る。登りついたところに何かある。

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こちらも明治天皇ゆかりの、明治天皇御駐蹕の碑である。

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実際に天皇が宿泊したのが、先程の遊具のあった場所か、それともここか、あるいはこれから行く諏訪公園の頂上部付近なのか、どこなのかはわからない。いずれによ、ご幼少の頃は京都の御所に閉じ込められて育てられ、いざ維新とかやられてみると、今度はやれ御行幸だ、やれ御駐蹕だ、で先程の様な階段を毎度登らされる明治天皇も大変なことであっただろう。
ご幼少のみぎりにはやはり蝶よ花よと育てられ、玉のように可愛らしかったかくいうなめこさんも、先程の階段には(あんたのことはどうでもいい)

ここからは、汐入駅前の横須賀芸術劇場がよく見える。

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先へ進もう、とフラグを立ててみるが、この斜めのものは何?

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帰って調べればわかるだろう、と画像を撮っただけだがわからない。緑ヶ丘学院の施設か何かなのだろと思うのだが、サイトを見てもわからなかった。

フラグ通りこの先の階段を登れば、諏訪公園の核心部(なにそれ?)に登れるはずだが、これらの看板が気になる。

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白線内は学校用地」と明記されているが、この階段はまさに白線内にあるのである。(笑)

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どうみてもこの階段は乙女たちの園(何だその表現は)緑ヶ丘女子中学校緑ヶ丘女子高等学校に通じているように見える。
実にまずい。
これをうっかり登ってしまって、諏訪公園へ道が通じていなかった場合、なめこさんは即タイーホである(なアホなw)。「JCやJKは管轄外です」とか言っても無駄であろう(何の管轄だ)。体中から水蒸気を発生させてはーはー言いながらiPhoneをぐりぐりやっているぷにぷに系のなめこさんである、これ以上の不審人物はいまい。(笑)

なので、ここは撤退である。(え゛っ?撤退?)


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